第9章 安南海岸に於ける第2太平洋艦隊

   石炭補給の困難及び艦隊の安南海岸滞留

艦隊司令長官は、石炭補給に関し問題が発生した1月以来、海軍省に対し、極東の諸港に勤務する我が派遣員に注文させて、石炭を購入するようしきりに主張したが、海軍省はその処置を取らなかったため、作戦行動を取るために必要な数量の石炭を調達できていなかった。

「ロジェストウェンスキー」中将は次の報告書を提出した。

「艦隊の「ノシベ」湾出港後、二三日遅れて出港しサイゴンに直行するよう下命した、機関科材料を搭載した汽船「レギナ」の所在不明を知る。海峡に於いて日本軍に拿捕されたのではないかと推測する。

獨国汽船4隻で、マダガスカルから輸送した3万トンの石炭では到底全艦隊の要求を満たすことは出来ない。この様な次第で早急にウラジオストックに向かって前進するという計画を実現する事は出来ない。

明日4月19日は艦隊運動を行うため、艦隊を率いて出動する予定であるが、しかし石炭不足のため艦隊運動も再三実施できるかどうか疑問である。」

2 外交上の困難

佛国政府は、植民地の領海内に「ロジェストウェンスキー」中将の艦隊が来て、近傍を通過する商船に停船を命じ、臨検する行動に対して、中立違反の非難を受けることを恐れて、領海外への退去を求めた。これらは植民地の官憲より直接艦隊に加えられ、また外務省を通じ海軍大臣に抗議があった。

「ロジェストウェンスキー」中将は、しばしば自ら佛国植民地の官憲に交渉し、又談判した。

第2太平洋艦隊は、前記の様な困難を忍んで一つの湾から他の湾へ移りつつ、1ヵ月間安南の海岸を遍歴した。

 

3 艦隊の「カムラング」湾在泊及び軍需品の不足

4月15日佛国巡洋艦「デスカルト」が少将旗を掲げ「カムラング」湾に入港し、艦隊の在泊期間中錨泊した。但しその間に時々サイゴンに行っていた。

中将は3月12日、艦隊と会合した運送船「イルツイン」が予定していた予備弾薬を搭載して来なかった為、不安となり海軍大臣に宛て、艦隊の予備弾薬は如何なる汽船で、何日頃、何処に向けて送られたかと問い合わせ電報を発信した。

これに対して海軍省の電報では、艦隊の予備弾薬は全てウラジオストック向けに発送した。既に大部分は同地に到着し、残りも輸送の途中である。海路を使用しなかったのは危険と判断した為であると返電してきた。

4月16日サイゴンから派遣された汽船が到着し瀬糧品、野菜及び郵便物を艦隊に渡した。

 

4 敵との遭遇を予期する、艦隊運動及び石炭搭載

艦隊司令長官は次の令達を発した。

湾前に優勢な敵艦隊が現れたならば、司令長官自ら艦隊の主力を率いて出動する。

巡洋艦「ジェムチューク」「イズムルード」及び駆逐艦は敵の水雷攻撃に対し、戦艦の翼面を援護するのに便利なように位置をとり、又巡洋艦戦隊は中央戦艦戦隊の列外に於いて、我が戦艦戦隊の両端を迂回して本隊を挟撃しようとする敵の巡洋艦に対抗し、又苦戦に陥り、火災を起こした戦艦戦隊の諸艦を援護すべき任務を与えた。

艦隊造船大監は、長官の命により艦隊乗組み造船官を率いて戦艦及び巡洋艦に赴き、隔壁及び舷側の水密や防水装置を検査した。

4月19日午前8時戦艦全部と巡洋艦「オウロラ」は従陣を組んで出港し、自差を測定した後最も単純な艦隊運動を行い、同日午後2時諸艦は停泊地に帰り、従前の位置に投錨した。

司令長官はこの後艦隊の北進に要する石炭準備の不足を甚だしく苦慮し、「カムラング」湾に1週間錨泊した後、海軍大臣に次の電報を打った。

「本職は、「カムラング」湾に向かう途中に、石炭の用意はサイゴンに於いてされているものと考え、即刻ウラジオストックに向かって航進する必要をサイゴン経由で電報を発信し、又1月以来幾度となく反復して要請していたにも拘わらずサイゴンに於いて何も用意されていなかった。その為に敵の不意に乗ずる機会を失い、又前進出来る時期が不明となっている」

5 艦隊に於ける無線電信の状態

長官は艦隊の無線電信が甚だ満足し難い状況であることを令達で告示した。

艦隊が無線電信を採用するについては、8ヶ月間非常に辛酸をなめたがその結果は次のようである。

昨日419旗艦「スウォロフ」は15マイル離れた巡洋艦「アルマーズ」に向かい1時間15分にわたり呼び出しを行ったが遂に応答しなかった。泊地に残った「オレーグ」も呼び出そうとしたがこれも何ら応答がなかった。本日は午後2時から艦隊に接近する巡洋艦戦隊の3隻と交信する計画で、「スウォロフ」は受信に努めたが機器の調整不良のため大気の放電に類する信号に感応したのみであった。「スーロフ」の無線機がこのような状態である事は嘆かわしい限りである。

この令達の結論として、各司令官、艦長に対してこの重要な海軍の特殊技術に対して熱誠を込めて効果を上げるよう訓示した。

 

6 艦隊に対し24時間内に佛国領海退去の要求

421午後1時、佛国巡洋艦「デスカルト」に座乗する海軍少将「デ、ジョンキエル」は戦艦「スウォロフ」に来艦し、第二太平洋艦隊の中立国在泊に対し、日本から抗議があった為に露国艦隊は佛国政府の要求に従い24時間内に佛国植民地の領海を退去すべきよう伝えた。

サイゴンから糧食及び郵便物を持って汽船が到着し、艦隊の運送船に搭載する。

翌朝司令長官は、旗艦に各司令官及び各艦長を招集し、佛国政府の要求を告げ、諸艦を率いて公海に出て、艦隊の糧食、石炭等の補給及びペテルスブルグとの電信交換の便宜上「カムラング」湾を遠く離れない佛国の領海外に留まり、運送船は中立規則を適用せられないため、巡洋艦「アルマーズ」と共に湾内に残すことに決める旨伝えた。

7 艦隊の「カムラング」湾出動

 422日午後1時艦隊は抜錨して公海に出、そして運送船及び巡洋艦「アルマーズ」は湾内に残した。仏国巡洋艦「デスカルト」は艦隊の出港を監視しながら続いて、一旦出港した後湾内に引き返した。

艦隊は公海に出た後、微速力で隊列を保ちつつ、「カムラング」湾の前面を遊弋した。

司令長官は艦隊の出動前に海軍大臣に宛てて、次の電報を発信した。

「約束の石炭は、422日までに1トンもサイゴンに於いて受け取っていない。ハンブルグ・アメリカ会社の汽船その他の汽船も搭載し、来ていない。佛国政府の要求により、止むなくその領海外に退去せざるを得なくなった。本職は公海に留まって、サイゴンとの連絡を保つ予定である。艦隊の石炭の供給について、安心を得ない限り、一歩も目的地に向かって進むことができない。艦隊が海上に留まる限り日々消費する石炭は千トンにもなり進退に窮する。石炭の納入契約を結んだ業者に対してピータースブルグから切実な督促を行われる事が急務である。」

4月23日朝艦隊は「カムラング」湾前の公海に於いて、機械を停め時々隊列を整える為に航進する。巡洋艦を四方に環状に配置して、水平線外の監視を拡大し且つ商船の臨検をしやすくする。

(第3太平洋艦隊の動静:インド洋

海軍少将「ネボガートフ」は、「ロジェストウェンスキー」中将の隊と遂に合同できない場合ウラジオストックに直行する計画を立案した。

日本の海岸の東側を2百ないし250マイル離して8ノットの速力で航行し、千島水道を通り、樺太の海岸に出て石炭を補充した後全速力で宗谷海峡を通過し露国の海岸に向かう。)

 

4月24日及び25艦隊は「カムラング」湾付近の陸岸を視界内に保ちつつ、微速力にて行進し

「ロジェストウェンスキー」中将は424日付の電報を接受したが、その大要は「ネボガートフ」少将の支隊が到着するまで待てであった。

同時に海軍省から423日付けの電報を受信した。「佛国政府は日本の抗議により艦隊がカムラン湾を速やかに退去する事を強く要求した。若し艦隊が佛国の領海内にあるのであれば退去せよ。」

 

第3太平洋艦隊の動静:インド洋

2回の実弾射撃

午前8時インド洋に於いて5個の標的に対して第2回の実弾射撃を行う。この射撃は前回よりはるかに好成績で、5個の標的中2個を破壊し2個を損傷させた。この成功は、距離測定儀の測定が正確であった事と乗組員が訓練に熱心であった事による。

4月25日「ネボガートフ」少将は、旗艦に参集した各艦長に対して次の事項を告げた。

「ロジェストウェンスキー」中将の艦隊について何らの情報も得られない場合には、日本海岸を遠く離れて太平洋を迂回し、日本艦隊の主力を避けてウラジオストックへ向かう。

マレー海峡を通る為支隊は針路を「スマトラ」の北端にとった。

 

4月26日午前6時巡洋艦「アルマーズ」及び運送船は石炭搭載を終わり艦隊に合同する為、湾内から公海に出て、巡洋艦「アウロラ」も同じくその哨戒地を去って、艦隊に復帰し、航行序列に於けるその位置に就いた。

午前930分艦隊は8ノットの速力で北進する。                                                                     

8 「ワン、フォング」(「ホンコーヘ」)湾に寄港する

426午前3時頃艦隊は「カムラング」湾の北60マイルにある「ワン、フォング」湾に到着した。同湾は600mから1500mの高い山々で囲まれ、半ば開放された大きな湾である。

全艦隊は午後6時までに湾内の前部に投錨した。その配列は四線となっており、陸岸に沿って運送船が錨泊し、これに平行に偵察隊及び巡洋艦戦隊が錨泊し、その沖に戦艦戦隊が錨泊し、駆逐艦は陸岸と運送船の間に位置した。

艦隊は夜中に全ての燈火を隠蔽し、水雷防御網を張り、駆逐艦及び艦載水雷艇を哨戒のため派出した。

この錨泊の積極的特点は湾口が広大であり、沖合から来襲する波濤のために不安を感じる。

本湾の特徴は、敵の魚雷攻撃は一方向からのみである事、電信局の設備がないこと、官吏が居ない事でありこれらは艦隊のために好都合であった。

「ワン、フォング」湾の南方20マイルにある佛国官憲から我が艦隊に対して、24時間以内に佛国植民地の領海外に退去するよう要求を受けた。しかし陸上からの交通が不便な為艦隊司令官に伝わったのは52日であり、それまで艦隊は悠々と湾内に停泊する事ができた。

426戦艦「スウォロフ」は石炭を搭載し、巡洋艦戦隊はその晩から兵員を派出し、27日の夜に亘って徹夜で獨国の汽船から石炭を運送船「ウオコネジ」に移載する。

艦隊の各艦の周囲に、付近の集落から安南人が来て、牛、鶏、鴨、「バナナ」、南瓜等を売り、代金の釣銭に彼らは日本に於いて偽造した露国の小紙幣を渡した。

 

(第3太平洋艦隊の動静:インド洋

支隊は「スマトラ」島の西岸から150マイルの所で石炭搭載を行う。天気良好であり大きなうねりも全く無く又無風であった。今回は特に大量の石炭を搭載した為長時間を要した。)

 

4月28日艦隊は運送船から石炭、材料、麦粉、牝牛を積載した。これはハンブルグ アメリカン汽船会社が、艦隊に随行してこれ以上北に随行することを拒否したためである。

そして同地北方の石炭譲渡を請け負った会社は、数隻の汽船を雇入れ、又サイゴンから汽船を呼び寄せ、確実にその義務を履行した。

艦船は皆載炭作業に忙殺させられたとはいえども、受難週間の終日であるので正式の祈祷会を行った。

最近数日間に於ける士官公室に於いては、その期待する「ネボガートフ」少将の支隊に関し、談話が何時も行われた。

艦隊の諸艦は不明に無線電信を受信し、ある者は「ネボガートフ」少将の支隊から発する電信であるといい、ある艦は旗艦へ一将校を派遣し戦艦「ニコライ一世」から戦艦「スウォロフ」へ所在点を問い合わせた電信を受信したと告げた。艦隊司令長官は、「ネボガートフ」少将の支隊の航進を確かめるため巡洋艦1隻を外海に派遣したが、上記の電信は佛国の軍艦2隻で交換していたものであることを確認した。

(第3太平洋艦隊の動静:インド洋

載炭未了の軍艦は、その作業を継続し他の軍艦は運送船から弾薬、機関科材料、真水及び糧食の補充を行った。)

9 復活祭

復活祭は汽船で回送してきた糧食を受け入れ、又土人から牛、鶏及び鶏卵等を買い込んだため、露国の習慣どおり迎えることができた。

429は神聖土曜日であるため、艦隊は祭日を迎える準備を行い、旗、花及び緑葉をもって隔壁を覆い、兵員甲板及び砲甲板にクリーチ(復活祭用のパン)、彩色した鶏卵を配置し、作業は艦内の掃除、室内の整理にとどめて全部休業した。

艦隊司令長官は令達を以て以下の注意を促した。

「一か月前に於いてすら日本人は我が艦隊の在泊する当地に巡洋艦及び駆逐艦を配置した程であるので、今日に至っては不意の夜間攻撃を決行する準備は一層完備していると思われる。

日本人は不意の攻撃の時期として、大祭日の前夜である今夜は彼らの絶好の機会であろう。故に祈祷中及び除斎式中といえども、当直員の他に、分隊は半数の将校、探照灯は半数の兵、47ミリ及び75ミリ砲は半数の砲員、12インチ及び6インチ砲は全部の砲員又無線電信所付きで経験を有する信号兵は甲板に残って、各人は部署を離れてはならない。

当直の巡洋艦、駆逐艦、艦載水雷艇は特別慎重にその任務を遂行すべし」

この夜日本人の攻撃はなし

(第3太平洋艦隊の動静:インド洋

この日は神聖土曜日であるため、各艦は皆キリスト復活祭の準備に着手する。)

 

4月30日は神聖日曜日であり、午前から満艦飾を施し全ての作業を休む。

司令長官は汽艇に乗り艦隊を一周して祝賀を交換し甲板に整列した兵員に向かって祭日を祝った。

この日長官は令達を以て、各艦長に対して、自艦の石炭搭載に留意させ、常に現在炭量によって、430日より今後10日間 3千マイルを10ノットの速力で航海するに差し支えないように石炭の現在量を維持せよと訓辞した。

(第3太平洋艦隊の動静:インド洋

復活祭の第1日目であり、支隊の各艦は停止し、司令官の許可を得て汽艇を降ろして、互いに往来し、士官公室に於いて終日祝賀の交換を行う。)

51佛国駆逐艦「ジ、カ、ウエイ」気象台の発表した台風襲来の警報を伝える。

 

(第3太平洋艦隊の動静:マラッカ海峡

午前8時支隊は航行序列を整えマラッカ海峡に向かって航進する。

日没後警戒を厳重にし当直舷の将校以下全員配置に付いた。)

 

52風強く、大波が起こり、且つ霧が発生した。艦隊は急いで石炭を搭載する。

10 「ロジェストウェンスキー」中将「ウラジオストック」に於ける石炭の不足を憂う

「ロジェストウェンスキー」中将はこれまで艦隊の石炭及び糧食の補給は幸いにして好都合であったが、艦隊が「ウラジオストック」へ到達後に於ける石炭の供給について、大いに配慮し、次の電報を「ペテルスブルグ」に向け、発送した。

「艦隊は、「ネボガートフ」支隊と合同して、結氷前に「ウラジオストック」に根拠を固めるためには50万トンの石炭を至急、「ウラジオストック」へ運搬し、保存しておく必要がある。これは朝鮮半島を6回往復するに足る石炭量である。そしてこの石炭は、豪州及びニュウヨークから宗谷海峡を経て、「ウラジオストック」へ至急輸入する必要がある。」

11 艦隊出動して再び「ワン、フォング」湾に帰還する

52日陸上の官憲は艦隊の領海退去を要求した佛国政府の文書を手渡した。

艦隊は午前8時頃、海軍少将旗を掲げた佛国巡洋艦「ギシヤン」と会合した。同巡洋艦は、「ワン、フォング」湾に赴いた後、南下したようである。

艦隊は外海に出て、エンジンを停止し、日没後戦闘序列を取、終夜最少速力にて編隊のまま巡航する。

 

(第3太平洋艦隊の動静より:マラッカ海峡

シンガポール:「ビューロ、ウエー」の正横を通過する際、シンガポール市の灯火をかすかに認めた。マラッカ海峡の航行に3日を要した。夜中に豪雨を伴った熱帯地の雷雨に遭う)

 

5月4日午前零時、艦隊司令長官は信号火箭を上げて、水雷攻撃、撃退の演習を行わせた。

艦隊は午前8時「ワン、フォング湾」に入り、以前の位置に再び投錨する。

 

(第3太平洋艦隊の動静より:シンガポール沖

当夜支隊は最も危険なシンガポールの近くを通過する。支隊は航路標識を迂回して左に煌々たる灯火に照らされたシンガポールの全市街及び泊地に投錨した船舶を見る。かくして支隊は全く認識される事無く市の傍を通過した。)

 

5月5日の午後は、通常の諸訓練及び課業を行った。「ロジェストウェンスキー」中将は更に、今後安南の各湾を遍歴せざるを得なくなる事が予想される為、曳船「ルーシ」に艦隊の錨泊に適し、沖合いから発見されにくく、又電信局の存在しない湾を調査させた。「ルーシ」は「ワン、フォング」湾に並んだ「クアベ」湾の「ダヨット」港を漸く発見し、上記の条件を具備したものに近いと報告した。

司令長官は「クアベ」に回航しようとしたが台風が襲来する予報に接したため、その回航を延期する。

(第3太平洋艦隊の動静より:南支那海

午後1時針路上に1隻の汽艇を認めたが、シンガポール駐在の露国領事の代理人で既に2日間海上に留まっていた。)

 

海軍大臣の電報

 1 「ロジェストウェンスキー」中将は全艦隊を率いてサイゴンの北方「カムラン」湾に入り、以後の行動は不明である。貴官が「ロジェストウェンスキー」中将の艦隊に合同できない場合にはウラジオストックへ回航する裁可を得た。

 2 可能な限りその在泊日数を短縮して中将の指定する地点に急航せよ。

 

5月6日は皇后「フェオドロウナ」の命名日であるため艦隊は全ての作業を休む。

乗員一同は「ネボガートフ」少将の支隊の来着が著しく遅れ、しかも何らの消息が無い為不安の念を持つようなった。

(第3太平洋艦隊の動静より:南支那海

司令官は次の信号を掲げた。

5月9日に北緯12度50分、東経109度23分の地点で第2太平洋艦隊と合同の予定である。)

 

5月7日「カムラン」湾から、郵便とともに「ネボガートフ」少将の支隊が5月5日午前4時に無事シンガポール沖を通過したとの電報を受領した。この報告に接し、艦隊の乗員は5月9日までには支隊と合同し、北進でき、安南海岸の遍歴は、今後行う必要がないと大いに歓喜した。

12 佛国政府より艦隊の中立侵害に対する再度の抗議

5月7日午後430分海軍少将の座乗した佛国巡洋艦「ギシャン」が沖合いから来て、艦隊が安南の諸湾に在泊する事は佛国の中立を侵害するものであるとする佛国政府の抗議書を艦隊司令長官に交付した。よって艦隊司令長官は海軍大臣に宛てて、次の電報を発した。

「佛国人は我が艦隊が連続して当地付近に滞在し、艦隊の戦闘力の増加に努めたとして大いに譴責しているがこれはまったくの妄想である。艦隊が「カムラング」湾に入ったのは414日であり、416日には既に我らに退去を促すために、佛国海軍の一将官が来て、その後艦隊は絶えず遍歴している。艦隊は既に一カ月彷徨した為大量の石炭を消費し、機械を損なった」

「ネボガートフ」少将の支隊を捜索して、この案内に任務のために巡洋艦4隻を出動させた。

この日載炭船4隻が入港し、又サイゴンから汽船「エリデン」が、艦隊に送付された水兵靴1万2千足を搭載して、漸く到着した。

 

(第3太平洋艦隊の動静より:南支那海

昼間はしきりに戦闘訓練を行った。夜間はマレー海峡を通過した時のように警戒を行った。)

13 海軍少将「フェリケルザム」病む

海軍少将「フェリケルザム」は416日脳溢血をおこした。幸いに一命をつなぎ止めたが病体の少将は、健康を甚だしく損ない、自分自身で衰弱していくことを感じられるようで、全快の望みは無い。

 

(第3太平洋艦隊の動静より:南支那海

夜第2太平洋艦隊の巡洋艦「ジェムチューグ」及び「イズムルート」を呼び出す無線電信を受信したため、艦隊の偵察艦が近くで遊弋している事を知る。)

 

14 敵と遭遇した場合に於ける運送船の処置に関する長官の訓示

司令長官はウラジオズトックに赴く途中、敵の攻撃を受けることを予測し、運送船の取るべき行動の概要を次の様に定めた。

1 敵がもし我が航路の前方右側に現れた時、主力は、第3戦艦戦隊、巡洋艦戦隊及び偵察隊と連携を保ちつつ、、敵と交戦するため長官の命により敵側に向かうべし。

 運送船は運送戦隊指揮官の長旗を掲げた巡洋艦を先頭として、この運動に倣い敵と反対方向に左八点の正面変換を行い、艦隊より5~6マイル離れた後、巡洋艦に従い常に敵と反対する側方に於いて、艦隊と離れているべし。

2 敵がもし我が艦隊の前方左側に現れた時は、信号に従い諸隊は皆前項に掲げたように行動すべし。

3 敵が若し我が正横に現れた時・・・・・・

4 敵が若し我が艦隊の後方に現れた時・・・・     略

5 敵が若し我が艦隊の針路上に現れた時・・・・

15 艦隊の「ワン、フォング」湾出動

5月9日午前6時艦隊は抜錨用意を整えた。午前8時海軍少将旗を掲げた佛国巡洋艦「ギシャン」が湾内に来た。艦隊は「ギシャン」の入港後程無く抜錨して、外海に出た。先頭に巡洋艦「アルマーズ」、運送船の順に出動し、次に艦隊は10時頃二列縦陣となって出動したが、佛国巡洋艦「ギシャン」もまた艦隊に続いて出港した。

16 「ネボガートフ」少将の支隊と合同する

この日正午艦隊は支隊の巡洋艦と無線電信の応答を得て、司令長官は巡洋艦にその所在する経度、緯度を問い、艦隊と出会うための針路を指示する。

午後3時「ワン、フォング」湾の入口から20マイルの海上で、「ネボガートフ」少将の支隊と無事に合同し、新来の軍艦を支隊に編入する。

新来の軍艦を艦隊に編入した連合艦隊は、その針路を北東に取り、しばらく航進した後「クァ」湾入り口の正面で航進を止めた。

午後7時までに巡洋艦及び運送船は全部湾内に投錨し戦艦は海上に残った。

 

(第3太平洋艦隊の動静より:「クァベ」湾

午後3時支隊の航路上に煤煙を見、続いて第2太平洋艦隊の艦船が2列の縦陣で西進する艦影を見るに至った。艦隊は機械を停め、「ロジェストウェンスキー」中将は支隊に対し「航海の成功を祝し且つ喜ぶ」「支隊の合同を祝す」との信号を掲げる。諸艦は「ウラー」の歓声を挙げ、軍楽隊は国歌を演奏する。

少将は汽艇を降ろし、司令長官を訪問した。会談は一般の挨拶に留まり、今後の準備と石炭搭載の為支隊を「クアベ」湾に回航するよう命じた。

支隊の装甲艦で第3戦艦戦隊を編成し、巡洋艦は艦隊の巡洋艦戦隊に編入された。)

 

17 「ロジェストウェンスキー」中将の健康状態

「ロジェストウェンスキー」中将は自己の重責を遂行することに対して,不断の難題と各種交渉が原因で心を痛め、疲労と衰弱が甚だしく、又隷下艦隊の勢力に対し不安の心を起こし、以前未だが「マダガスカル」に在泊当時は、激しく反対した「ネボガートフ」支隊の来着を首を長くして待つようになっていた。そして「ネボガートフ」支隊の来着と共に無意味な安南海岸の遍歴を止めて、いよいよ第2太平洋艦隊最後の行動に移らんと決心した。

514司令長官は、北進に臨みペテルスブルグへ次の電報を発した。

 

「ネボガートフ」支隊と合同した。「フェリケルザム」少将は倒れて、5週間になるが未だ起き上がる事ができず、容泰はますます悪化している。本職も僅かに歩行ができる程度であり、甲板を一周することすらできない。故に至急健康で適任の海軍総指揮官若しくは艦隊司令長官をウラジオストックへ派遣されるよう要請する。この様な理由で艦隊の状態は頗る不良であるがしかし本職は倒れるまで海軍総指揮官の下で艦隊の指揮を継続したいと思っている。」