第7章 第2太平洋艦隊「マダガスカル」在泊のその後

1 艦隊生活

 艦隊の乗員は毎朝5時に起床し、戦艦「スウォロフ」の信号により各艦は水雷防御網を引き揚げ、そして総員を短艇に配乗して艦隊の周囲を一周させる。この時は大抵、灼熱の太陽が照りつける午前7時過ぎである。

午前8時過ぎ各艦は「ランチ」を運送船に送り、必要な物件を受け取たせる、或いは海岸に派遣して淡水を運搬させた。毎週行われる石炭搭載の外、殆ど毎日各種の物品を搭載する。午後3時から6時に至るまでは教練及び課業を行った。

上陸はすこぶる稀のみならず、平日の上陸は僅かに午前8時から正午までとし、祭日は午後6時まで許可された。これもまた士官及び准士官に許されるのみで、兵員の上陸は軍医が付き添い、小集団で朝に艦を出て、正午に帰艦する患者の外、許されなかった。

 艦隊の無聊な在泊も大精進日前の週間に入ると共に活気を帯び、兵員の為に娯楽を準備する。軍艦遊技、各種の余興、信号や操砲及び距離測定、懸賞短艇漕走、仮装行列、見世物等を兵員に行わせた。

 この週間を終わると艦隊は東航に対する準備のため、ようやく全力を傾注するようになった。

2 艦隊の戦闘教練及び課業

 1月23日から艦隊の各艦は、毎日砲術及び水雷術の教練及び課業、水雷襲撃撃退法、

機雷敷設、防火防水、水雷防御網展張、探照灯照射、短艇操縦等を行う。

 陸戦隊の上陸演習、駆逐艦の泊地掃海、魚雷発射及び戦術問題解決もまた稀に実施した。

 長官は掃海の為、駆逐艦が船体や機械を壊すと一大事であるとして、艦載水雷艇で掃海隊を編成すべしと命じた。

 艦載水雷艇は2月7日から1週間、毎日編隊運動及び掃海作業を行った後、単独で夜間、遠距離に離れた後、艦隊に対して突然襲撃をする演習を殆ど毎夜の如く行った。最初は成功を収めたが、艦隊の訓練が向上するにつれて、次第に艦隊に密かに接近して攻撃する事が困難となった。

 艦載水雷艇も又魚雷発射演習を行った。第1回は218日に行ったが全然不成績であったがその後の魚雷発射は満足な成績を得る事ができた。

3 戦術上の諸問題

戦術的研究の一例として、128日に行った演習の要点を記す。

巡洋艦「スウェトラーナ」を艦隊全部と仮想して、極東に向かって出動し、途中に敵の駆逐隊が潜伏し、艦隊を襲撃する機会を窺っているとの情報を得た為、巡洋艦1隻と第1駆逐隊を敵駆逐隊が潜伏の恐れにある海域に派遣する。

2駆逐隊(敵の駆逐隊に仮想)は、予め出動し、艦隊の航路を監視している。

この演習の研究の要点は、第1は砲力で襲撃艦を撃退する方法、第2は駆逐隊の艦隊襲撃方法を訓練することである。

演習は至極満足に遂行され、直接これに参加した人のみならず全艦隊の乗員全部が大いに興味を持ってこれを県究し、無聊な在泊の倦怠を吹き消した。

4 砲煩射撃

艦隊乗員の士気を振作する方法は、乗員に専ら正式な戦術的教練に従事させ、目前に迫った戦争に対する予備的訓練を実行する事である。これは将校以下乗員一同が等しく認める所であるがこれらの訓練をするために最も必要な砲煩に対して演習弾薬を持っていない。

長官は、艦隊の士気が非常に退廃するのを見て、これを鼓舞するため123日次の令達を発令した。

「我が艦隊は戦艦7隻巡洋艦7隻を有する。故に敵の艦隊は単に我が艦隊よりも優速を頼み、遠距離から我と交戦する策を取るに違いない。されば我が艦隊は直ちに敵弾を冒して有効射程内に接近して、敵を撃滅する必要がある。故にこの際安閑としていられず、精励し、一所懸命に訓練に励む事が必要である。

 我が艦隊は射撃訓練の為に弾薬を多数消費する事ができないので操砲及び照準の2科目に対しては十分な注意を払い、又砲員は望遠鏡照準器の使用法を会得しなければならない。

巡洋艦1隻及び駆逐艦1隻を縦列の両側から35マイル離して航行させ、各種の距離で任意照準点を得させ、照準発射訓練を行う予定である。」

1月26日に実施された戦艦、巡洋艦の射撃演習に対し1月27日に長官の行った講評は以下のとおり。

「出港時に戦艦「スウォーロフ」は楊錨機の汚れと錆びのため抜錨に1時間を要した。

正午頃に一斉回頭をして横陣を作ると早朝に予告していたにも関わらず、信号を揚げたところ各艦長は周到狼狽して乱雑な横陣しかできなかった。

射撃を行うため縦陣を作ったが、陣形が著しく長くなり、中央の艦で試射を行っても効果が無い。過去4ヶ月にわたり編隊航行をしてきたがその要領を会得せず、敵と遭遇した時も無理と思われるので今後は各支隊の先頭艦は敵の射界に入ると同時に試射を行え。

解説:試射とは大砲に調定する距離を確実にするため試験的に大砲を発射することである。

昨日の艦隊射撃において「オーロラ」の外演習の目的を理解し、熱心に努力した艦は一艦も無いのは極めて遺憾である。

12インチ砲の発射で数分間砲声が絶えた後発砲を聞いたがこれは目標までの距離、針路風向の関係等がその間に変化するはずであるのに砲術長は如何なる試射法で高価な弾丸を射撃したのか。

75mm砲の射撃もまた拙劣である。白昼全艦隊は日本の駆逐艦を想定した標的に対して、しかも射撃を容易にするため固定標的にしたにも関わらず1発も命中させる事が出来なかった。」

5 艦隊の無線電話

214日付艦隊司令長官の令達は、艦隊所属艦船の無線電信の状態を非常に明瞭に説明しているので次に掲げる。

「運送船「コレヤ」及び「キタイ」にはアンテナの高さが低い「マルコニ」式無線機を装備し、駆逐艦を除くその他の全艦船には、アンテナの高さが高い「スリヤビ、アルコ」式無線機を装備している。

運送船「ウラル」の無線電信もまた「スリヤビ、アルコ」式であり、500マイル以上に到達する能力を持っている。

艦隊の無線電信で、6ヶ月間の航海中に故障が皆無であったのは運送船「コレヤ」のみで、その他は全部しばしば故障が発生した。

「コレヤ」の電信は他の艦船よりも常に早く、遠距離の電波を受信した。ある日同艦は90マイル離れた電波を受信したが、他の艦船は65マイル離れた電波すら受信出来なかった。

なお本日午前630分運送船「コレヤ」の電信は、運送船「ウラル」と「オレーグ」間の交信を受信した。両船は昨日より交信しているが未だに了解していない。両艦の間には、陸地も1本のマストも無いにも関わらず受信出来ないのに、「コレヤ」は山を越えて70マイルを隔てて真っ先に受信した。これは電信機の優劣でなく同船の指揮官の配慮と1等水雷兵曹「アレクサンドル、スミルノフ」の技能が卓越しているためであり、本職は「コレヤ」の指揮官及び機関長に満足の意を表し、1等水雷兵曹「アレクサンドル、スミルノフ」に対し艦隊司令部から50ルーブルの賞を送った。」

6 艦船の修理工事

各艦は主機械及び補機械を取り外し、ボイラーを清掃し船体、武器及び機関の「マダガスカル」までの航海で発生した多くの損傷箇所を修理した。

艦隊の潜水兵によって戦艦等の水線下に付着した貝や海草を除去した。ドックや工場が無い場所で行う作業の為に、修理には全部兵員の特別な努力が必要であった。

7 運送船「イルツイシ」及び汽船「レギナ」の到着

 31日、待ちに待った運送船「イルツイン」が石炭を搭載して露国から到着した。艦隊司令長官は、同船は多量の弾薬、糧食及び金銭等を搭載して来るものと期待していたが、海軍省では別に長官からその様な物件の補充請求が無い為送付する必要が無いと考え、艦政本部も又自発的に艦隊の補給に割り込む義務なしと考えて、艦隊司令長官の期待に反して石炭の他は何らの物品も搭載していなかった。

 艦隊は露国を出発する時、戦闘に必要な一定の弾薬を受領したのみで、しかもその内2割は126日、31日、21日及び7日の4回の実弾射撃に消費したため、もはや敵に遭遇した時の外、一切訓練で使用する事ができなくなった。

 長官は多量の材料及び糧食等を搭載して来る予定の汽船「レギナ」の到着を待つ事にした。これは艦隊が露国より用意してきた貯蔵品は既に各艦船とも消費してしまい、インド洋の航海に困難をきたしていた為である。

 3月15日汽船「レギナ」は漸く糧食及び材料を満載して到着した。同船は艦隊司令長官の命により艦隊の援助の下で24時間内に全部の搭載物件を卸した。

 

8 運送船の雇員

 艦隊に所属している運送船に於ける勤務の過酷さを察知した長官は、義勇艦隊、露国海外貿易会社、東亜会社の汽船並びに曳船「ルーシ」の船員を奨励するため船長から船員に至るまで、次の様に俸給を上げる事を定めた。

1 露国を出発して6カ月を経過したならば、俸給の3カ月分をボーナスとして支給する。

2 露国を出発して9カ月を経過したならば、俸給の3カ月分をボーナスとして支給する。

3 露国を出発して12カ月を経過したならば、俸給の6カ月分をボーナスとして支給する。

これらは勤務忌避、又は怠慢の処分を受けた事のない者に限る。

解説:義勇艦隊とは商船に大砲を搭載した船である。

9 糧食の補給

艦隊は「ノッシベ」湾に在泊中は終始陸上から生糧品及び生肉を購入した。「マダガスカル」の北部は家畜が多く、新鮮な肉に不足した事は無かったが新鮮な野菜を入手する事は極めて困難であった。玉ねぎ、ジャガイモ、ほうれん草などの野菜は生産されていない為、南アフリカや欧州から缶詰にしたものを輸入し、非常に高価で艦隊の必要量を確保できないこともあった。この一帯の諸港から購入した玉ねぎ及び塩漬け肉の缶詰は開けた際、硫化水素が噴出し爆発を起すものがあり多くを海中に捨てた

バナナその他の熱帯地方の果物はただ同然で買えるがこれらは煮物にも汁物にも使用できないため、安い間食菓子として利用したのみであった。

10 淡水の補給

淡水の補給に関しても少なからざる困難を感じた。給水船「メテオル」は強力な蒸化器を持っているが無論全艦隊の需要を満たす事は出来ないので水が欠乏する事が多く、水は非常に貴重であった。幸い殆ど毎日の様にスコールが通過するので、その雨水を短艇、樽などあらゆるものに溜めたが艦内の1日分の使用に足らない。そのため淡水を求めて捜索したところ、小さな川がある小島を発見したので溜池を作り、蛇管を池に入れて、短艇で水を搭載した。

11 艦隊在泊中の気候並びに乗員に及ぼした影響

最も困惑したのは息苦しいことで、湿度が96~98%に達して、あたかも蒸し風呂の湯気の中で呼吸しているようである。艦隊が停泊して1ヶ月経過する頃からセキリ、憂鬱病、,結核,熱帯性発疹にかかり、また死亡者も発生した。次々と多数の病人が発生し完治の見込みがない者(士官5人兵員14人)は運送船「マライア」で露国へ送還した。

12 艦隊長期の在泊が乗員の軍紀の及ぼした影響

艦隊の「ノシベ」滞在が長くなるにつれ乗員の軍紀がしだいに退廃してきた。そしてこれを維持する事が次第に困難となり、疲労を極めた兵員は遂に軍紀を乱すようになってきた。犯罪者を処罰するために執った各種の手段は殆ど効果なく、特に軍紀に関する犯罪が増え、航海中である艦隊に於いて高等裁判である軍法会議の開催が常時行われるようになった。又その犯罪中戦時の法律で死刑に該当する程重大なものすらあったが艦隊司令長官は生死の境である戦陣に臨もうとしている人間に死刑は相応しくないとして、死刑の宣告を1回も承認した事は無かった。最も軽い刑罰は監禁に処し、番兵を付けた。これは艦内の閉鎖された所に収監するもので室内の温度が極めて高く呼吸が困難で、その苦痛は拷問に劣らない。監禁者のみならず番兵までしばしば発病した。            

軍紀に関する犯罪で最も多いのは故意に命令に反抗し、上官に相応の敬意を払わず、命令を遂行せず、服従を拒否する等の事である。

13 戦場よりの通信

123日「ロジェストウェンスキー」中将は次の令達を発した。

「日本は我が艦隊が敵の艦隊と接触する前に、途中で襲撃しようとして各種の策略をめぐらしており、さらに信頼すべき情報によれば我が艦隊を誘き出すために良い餌を用意しようとしている。日本の巡洋艦及び補助巡洋艦は我が艦隊の所在を発見するために諸湾の探索に全力を上げようとしている。

日本は「マダガスカル」及び「ノッシベ」湾に居留する自国の派遣員と電信を交換して、我が艦隊の動静に関する情報を十分に熟知している。」

211

「現在、佐世保及び横須賀の2港に在泊する軍艦は、戦艦4隻、1等巡洋艦8隻、2等巡洋艦3隻であり、又各地の軍港に散在する駆逐艦は20隻、水雷艇は30隻である。」

3月4日

「日本軍艦の修理後に於ける速力は戦艦約17ノット、巡洋艦18ノット、駆逐艦28ノットである。」

3月12日 我が陸軍の奉天に於ける敗報が艦隊に達した。

 

 艦隊の将士は我が祖国の上に降りかかった災難を深く慨嘆した。この前途が暗澹たる戦争中に於いて、通知される情報は全部失敗や悲運を伝えるものばかりで、各員の神経は既に衰弱の極に達しており、麻痺してしまっているようである