第6章 第2太平洋艦隊の「マダガスカル」島出動差し止め

1 「ノシベ」湾に於いて「ドブロッウオルスキー」大佐及び「ネボガートフ」少将の二支隊待ち合わせの為艦隊の出動を差し止める120日~)

120日「ロジェストウェンスキー」中将は特令するまで「マダガスカル」島からの出港を見合すべしとの命令を受領した。海軍省は第2太平洋艦隊のみで日本海軍に対抗するには勢力が微弱であるので、巡洋艦4隻及び駆逐艦2隻で編成された「ドブロッウオルスキー」大佐の支隊を「ノシベ」湾で待合わせ、合同するよう命令した。

艦隊司令長官はこれに答えて次の返電をした。

「今更少しばかりの戦闘力を増やす為に貴重な日時を費やしてはならない。戦場に向かう途中での停滞は艦隊の補給上からも乗組員の精神上も極めて悪影響を及ぼす為早速艦隊を率いて出動の許可を得たい。」そしてこれ以上「ノシベ」湾に滞在するのであれば艦隊を統率する責任を負い難いと付言した。

長官は極東に向かって前進しようとして「ノシベ」湾を出動する許可を鶴首して待っていたが許可がないため、さらに「ピータスブルグ」次の電報を発送した。

徒に当地に滞留する事は、敵にその主力を十分整備する時間を与える。「ネボガートフ」支隊と合同して出征するとなれば、到底6月より早く日本海に達する事は出来ない。今同隊と合同するため出港期日を延期するとならば、本艦隊の補給を根底から破壊する恐れがあり、そうでなくとも既に一旦航程を変更させられた為混乱に陥りつつある。」

 

「ロジェストウェンスキー」中将の自宅宛の私信より)

「艦隊の士気は衰え、統率が日々に困難となっている。この地に留まっていると補充される方法が無い糧食をいたずらに消費するばかりである。「マダガスカル」島は商業の中心地から遠く、ただ豊富であるのは牛肉のみで穀物、野菜は極めて少ない。食糧もあと二週間あるのみで何を食べて太平洋を横断すれば良いのか。明日にも我が派遣員がオランダ領の「バタビア」で購入した糧食が着くのではないかと待っている。

 

然しながら海軍省はアルゼンチン海軍の軍艦を購入する事に失敗した為、第2艦隊のみで日本の海軍に対して、単独で行動させるにはその勢力が不足しているとの認識を固持し、遂に「ロジェストウェンスキー」中将に「ドブロッウオルスキー」支隊と合同するまで、是非とも「マダガスカル」に錨泊すべしとの命令を下した。なお数日中に「リバーワ」を発して、極東に向かって出動する「ネボガートフ」少将の支隊に関しては、「ロジェストウェンスキー」中将の意見に任せられることとなった。(27日付電報)

解説:アルゼンチン海軍の軍艦とは190312月日本が購入に成功した「日進」と「春日」であり、日本海海戦で活躍した。

 

艦隊の勢力が少ないけれども前進運動は1日も猶予できないと確信している「ロジェストウェンスキー」中将は「ドブロッウオルスキー」支隊の軍艦の中で、航海に耐える事の出来るものには前進を継続すべき命令を下すことを要請した。また中将は更に電報を発して「艦隊が戦域に出動する事と制止するならば、艦隊の軍記は全く弛緩する。重罪犯のごときはこれを罰する為の方法が無い。艦内に拘禁すれば灼熱の為絶息し、その番兵までも発病する」の事情を述べた。

この様に徒に日時が経過するのみで、出動期日の未定は遂に艦隊の人々を倦怠させた。

ここに一言追加すると「ネボガートフ」少将の支隊に編入された軍艦は、第2艦隊を編成する際「ロジェストウェンスキー」中将が極力排除したものである。その支隊は艦型が旧式で、無難に第2艦隊の在泊地に到着しても、艦隊の行動を妨げられ、その勢力を減殺されるだけであると考えていた。

かくして中将は「ネボガートフ」少将の支隊が第2艦隊と合同するため、215日「リバーワ」を出発したとの通知の接した時は感慨に堪えず、遂に健康を害して217日及び18日の両日は感冒で吊り床に横臥し、数日後初めて甲板に出た時には、非常に憔悴して右足を少し引きずって歩く程であったがその後追々全快した。

艦隊司令長官が「ネボガートフ」支隊の派遣を無用視するのみならず、艦隊の各司令官、艦長、将校に至るまで皆支隊の派遣に反対し、艦隊が同支隊と合同するまで錨泊するならば、取り返しのつかない損害を招くことになるとの意見を固持していた。

 

2 旅順港の陥落後に於ける第2太平洋艦隊の戦略上の任務解決

「ロジェストウェンスキー」中将」は旅順港の陥落及び第1太平洋艦隊の全滅の通知に接して第2太平洋艦隊の直接遂行すべき戦略上の任務は艦隊の一部なりとも、敵の警戒幕を突破してウラジオストックに回航することであると認め、ウラジオストックは太平洋岸に於ける唯一の我が海軍の根拠地であるため、至急同地に相当の設備を施し、必要な物件を集め置かれたしとの意見を海軍省に具申した。

この具申に対し艦隊司令長官は海軍省から次の電報を受領した。

「艦隊司令長官に課せられた任務は、僅かに貴下の数艦をウラジオストックに入港させれば足りるとするのではなく日本海を領有せんとする事にあるそのために現在「マダガスカル」に集合している艦隊の勢力では、この任務に対して不十分と認められるため「ドブロッウオルスキー」支隊の他に3月下旬にインド洋に到達する「ネボガートフ」支隊を艦隊に合同させたならば艦隊の本任務を容易にするであろう。」

中将の信任を受けていた艦隊の後任参謀 海軍大尉「スウェントルシェツキー」の私信から抜粋

「今や艦隊は、勝利を得ることのできる戦策を確立する必要があるが策の出しようが無い。今日の様に孤立し、陥り不安を感じた事は未だかって無かった。実に第2艦隊は危機に陥った次第である。我が艦隊に石炭を供給するハンブルグ・アメリカ会社の不都合は諸君も既に知っているとおりである。又現在は機械用材料、糧食及び被服まで欠乏を感じるようになり、艦隊の兵員は殆ど皆、毛くずから作ったサンダルを履いている。しかし極めて重要な事は給炭問題であるが、本件はこの遠征に対し懸念に堪えない。次は艦隊の乗員一同が遠征に対し成功の信念を持っていない事である。旅順港の降伏及び第1艦隊の滅亡を聞くと、急に皆落胆した。」

 

3 「ロジェストウェンスキー」中将に課せられたる任務に関する同中将の意見

艦隊司令長官「ロジェストウェンスキー」中将は2月初旬、各司令官及び古参の艦長数名を旗艦に招いて、第2艦隊に課せられた遂行不可能な任務に関する電報を朗読した

この会議に於いて各員は第2艦隊の現状を審議した後、司令長官から陛下へ奏聞しようとしている電文に対し、全部賛成の意を表した。その電文は

「戦前に於いて、軍艦30隻及び駆逐艦28隻を有した第1艦隊でありながら、海上権を獲得する為には尚勢力が不足していたのに、現在軍艦20隻と僅かに9隻の駆逐艦で編成された我が第2艦隊で海上権を獲得させようとするのは、全く過重の任務である。もし地中海で、黒海の戦艦3隻及び2隻を「チフニン」によって指揮させ、「ネボガートフ」支隊と合同させ、共に来て第2艦隊と合わせば、軍艦の隻数だけは喪失した我が第1艦隊と等しくなる。この艦隊で軍需品の供給に欠くことが無ければ、海面を占有することは至難のことではない。もし黒海の軍艦を艦隊に加えることができなければ第2艦隊の直接の問題はウラジオストックに奔入するに留めざるを得ない。単に現在の第3艦隊のみを待って、黒海艦隊との合同が無ければ、その結果は徒に乗員の健康と精神上に悪影響を及ぼすに過ぎない。

ここに勅栽を得て、2月下旬指定地に向かいたい。」

4 「ロジェストウェンスキー」中将の苦哀

艦隊の行動変更、ドイツ給炭船の随行拒絶並びに「ドブロッウオルスキー」大佐及び「ネボガートフ」少将の2支隊の来着を待ち合わすべしとの「ペテルスブルグ」からの厳命その他艦隊の補給、調達及び専門技術の錯誤等艦隊司令長官の心を痛めるものが多かった。

中将は親族に宛てた私信で次のように述べている。

「艦隊に於いては余のため何ら好い事はない。前途に控えている大事な活動に対して蓄積してきた精力は「マダガスカル」の在泊1ヶ月半で消え尽きた。さらに陸軍の大敗北が伝えられた最近の通知で、今まで振るわなかった部下の士気をさらに阻喪させ、無頓着であるべき少壮者まで落胆している者が少なからず居る。」

2月下旬「ロジェストウェンスキー」中将は次の具申をした。

「給炭船との折り合いがつけば直ちにインド洋を横断する事が絶対に必要と認める。この上徒に「マダガスカル」に在泊する事は、自ら自分の肉を食べて生命をつなぐ事に等しい。体力も気力も尽き果てた艦隊がここに3カ月も滞留するならば最早インド洋を渡航する事は困難であるため3月10前には出動したい。」

5 「ロジェストウェンスキー」中将の病気

 状況の不明、不愉快な錨泊、有害な気候、自己の責任に対する観念、憤懣、憂惧及び自己の方略遂行に対する制約等により司令長官は前途の成功を絶望し、或いは煩悶ししばしば病気となった。

3月「マダガスカル」出動にあたり、艦隊司令長官は、自己の病気を具申し、適当な交代者として強健有為な「チフニン」提督を指名し、更迭を願い出た。

3月5日付私信で

「自己に課せられた任務を果たさんとするもこれに必要な諸要素を完備していない。この間、若し余の身に変化が起きれば艦隊はその統率者を失う事を恐れて、「チフニン」少将が「ネボガートフ」少将と共に来るのを待って、総指揮権を「チフニン」少将に引き継ぎたいと思い、海軍大臣に願い出た。

6 艦隊の士気

 前途が全く不明である事、露国から何ら消息が無い事、艦隊の「ノシベ」停泊を無意味に思える事、苛烈な気候の下に、炭塵にまみれる載炭作業や諸任務が続くため疲労する事等の為に艦隊の乗員は鬱々として楽しまず。

 

以上の他、艦隊の乗員をこの様な状態にさせた原因は遠征に対する成功の信念を失ったことも原因している。特に成功の信念は、旅順港の降伏、第1艦隊の滅亡を聞くと同時に喪失してしまったのである。