第5章 第2太平洋艦隊の「マダガスカル」錨泊

1「セント、マリー」錨泊、錨泊中に於ける艦隊の警戒法、行動予定の変更

1229日~3813日)

「セント、マリー」海峡に到着後、「ロジェストウェンスキー」中将は、仏の地方行政長官が海峡に停泊する事を禁じないと聞き、海峡若しくは付近の港湾に全艦隊を集合させ、長途の航海を経た艦船の機械を詳細に検査し、手入れを行うよう企図した。

12月29日午後4時頃病院船「アリヨール」が入港し、旅順港の我が艦隊は日本の攻城砲の為に撃沈されたとの悲報を伝えた。この悲報は完全に艦隊の士気を挫折させてしまった。

1229日艦隊司令長官は海軍大臣より次の電報を受けた。

「佛国政府は日本政府の強硬な抗議のため「ジェゴスアレツ」(仏の軍港)に我が艦隊を集合させる事が出来ない為、佛国政府の指定した「マダガスカル」島の西にある「ノシベ」湾又か「ロジェストウェンスキー」中将の適当と認める佛国領海外の場所に集合させられたい。又「フェリケルザム」少将には「ノシベ」湾に直行するよう命じた。」

長官は、艦隊に必要な修理並びに軍需品を補給する為「マダガスカル」島の北東端にある「ヂェゴスァレツ」軍港を利用したいと多大の望みを持っていたが前記の如く海軍省の電報により、計画が完全に絵に描いた餅となってしまった。

1230日長官は汽船「ルーシ」に電報を託し「フェリケルザム」少将の支隊及び旅順港の状態に関する確実な消息を得るため「タワタワ」に派遣した。

1231日も載炭する。正午頃汽船「ルーシ」が「タワタワ」から帰った。海軍省から接受した最新電報によれば1221日日本の装甲巡洋艦2隻、軽巡洋艦6隻がシンガポールの南方を通過した。また「フェリケルザム」少将の支隊は1228日「ノシベ」湾に到着、錨泊した。

この日英国巡洋艦数隻が来て、艦隊の前面水平線で艦隊の行動を監視する。

長官は電報で「フェリケルザム」少将に即刻「ノッシベ」湾を出動し、「セント、マリー」の北方90マイルにある「アントンジル」湾へ回航すべきを命じる。

中将が「ノッシベ」湾をもって艦隊の集合地として不便であると考えたのは同湾は「マユンカ」の電信局へも「ヂェゴスァレツ」の電信局へも約200マイルもあり、通信じ甚だ不便であるからであった。

11日南南東の大きなうねりを冒して石炭を搭載する。時々驟雨が来襲する。

解説:「ロゼストウインスキー」中将は、「フェリケルザム」少将に対して「ジェゴスアレツ」(仏の軍港)で艦隊の主力と合同するよう命じていたにもかかわらず、海軍省が独断で「ノシベ」に行動予定を変更した事に大いに憤慨した。また行方を心配していた少将の部隊が「ノシベ」に居る事を知る。

 

海軍大臣から第3太平洋艦隊の準備について知らされる。

「極東に派遣する第3艦隊の第1戦隊は戦艦3隻、巡洋艦2隻で編成し、指揮官は海軍少将「ネボガートフ」で1月28日から2月2日の間に出発させる。第2戦隊は戦艦2隻、巡洋艦2隻、570トン級の駆逐艦7隻で編成し5月上旬出発させるよう準備中である。」

中将が得た情報では、日本政府は我が軍艦がオランダ領海内で給炭等行えばオランダ国に対して宣戦すると威嚇した為オランダ国は植民地に危惧を抱き中立規則を厳守するものと思われる。

「マダガスカル」の海面に日本軍艦が遊弋する風説があり、長官は夜間に巡洋艦を指定場所に投錨させ、その水雷艇で担当区域内を照射させ、軍艦は水雷防御ネットを張り備砲に装填し、外部の灯火を隠させた。

11日冷蔵船「エスペランサ」が到着した。同船は糧食搭載の為「カブシュタット」に寄港したが途中冷蔵庫が故障し多量に積み込んだ牛肉が腐敗し海中に投棄した。

1月1日及び2日は共に南東の風が強く、海峡の波浪が高いため載炭作業を中止する。艦隊各艦の交通は辛うじて行われた。

12日情報を得る為汽船「ルーシ」を夜中に「タマタワ」に派遣する。

 

2「タング、タング」湾への回航13日~16日)

13日朝輸送船「マライア」の他全艦隊は隣接する「タング、タング」湾の新錨地に移動する。これはこの湾が強風、波浪、うねりを防ぐ事の出来る突出した砂洲に守られている為である。

輸送船「マライア」は度々故障を起す為遂に長官は露国へ返す事に決定した。

夕刻までに各艦は載炭を終わる。石炭の一部はドイツの貨物船より一部は艦隊の貨物船より搭載した。

 

長官は「ヂェゴスァレツ」からの運送船が到着しないのは、当海面には日本の巡洋艦が来ているとの情報がしばしばあることから、敵艦に捕獲された恐れがあると考え、「エンクースト」少将に命じ、巡洋艦3隻で、「ヂェゴスァレツ」に行き、運送船が艦隊に合同するまで護衛し、この任務終了後「ノシベ」湾の「フェリケルザム」少将に早急に艦隊主力と合同する様伝達する事を命じた。

15日午前5時巡洋艦戦隊は前記の任務を帯びて出動する。相前後して「ヂェゴスァレツ」から「フェリケルザム」少将の次の報告を持って1隻の運送船が到着した。

「海軍大臣の命令によりノシベ湾に到着後、機械の分解手入れ、ボイラーの洗浄を行っている。支隊に隋番する駆逐艦の殆ど全部が大修理を必要とする。しかし命令があり次第差し支え無き艦船を率いて出動する」

 

15日早朝曳船「ルーシ」が「タマタマ」より帰り、旅順陥落の悲報と次の海軍省の電報を伝えた。

「佛国政府は、日本の抗議により軍港「ジェゴスアレツ」での停泊を許さないため、「フェリケルザム」枝隊は「ノシベ」に停泊しており、主隊も「ノシベ」に赴くべし。

日本の軍艦が「スンダ」列島にいるとの情報がある。」

旅順港陥落の通報は一同に沈痛な感を起こさせた。

この通報により第2太平洋艦隊の極東出征に対する事後の行動はますます複雑となり、当初画策した全ての予定は根底より覆ってしまった。

解説:軍港「ジェゴスアレツ」は「マダガスカル」における仏の海軍基地で、バルチック艦隊は当初この基地からの支援を期待していた。また次のホームページに第2次世界大戦時、日本海軍特殊潜航艇の英国艦艇に対する攻撃が紹介されている。

http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/4yuusi.html

3 艦隊の「ノシベ」湾回航、「フェリケルザム」少将の率いる独立支隊と合同、独立支隊編制替え16日~19日)

解説:「ノシベ」湾はマダガスカル北部の「アンボディポナラ」西方にある小さな島「ヌシベー」にある。

「ロジェストウェンスキー」中将は予定に従い16日午前8時30分、艦隊に抜錨を命じ、全艦艇を率いて「ノシベ」湾に向かう。

17日は聖誕祭の第1日であるため、午前8時より正午まで艦隊は機械を停止して、各艦は祈祷式が終わるまで祝祭のための装飾を行う。

当日長官は「スーロフ」において将校及び兵員を後部甲板に集め、祝詞を述べ、終わって祝杯を上げ、将校及び兵員が良く出征の艱難辛苦に耐え満腔の努力を惜しまない事に感謝する演説を行い、31発の礼砲を発射した。

正午艦隊は前進を開始した。

18日午後7時「ノシベ」湾から30マイルの地点で「フェリケルザム」少将が出迎えのため派遣した駆逐艦と会合する。

既に薄暗くなっており、湾口の入口が危険である為に翌朝入港する事にした。

 

19日午前11時艦隊は「ノシベ」湾に入り「フェリケルザム」少将の準備した錨地に投錨した。

艦隊の入港に際し、乗組員は舷側に整列して「ウラー」の歓声を交換する。

「フェリケルザム」少将の独立支隊は主隊の来着と共にその編成を変更された。

113日海軍少将「フェリケルザム」は将旗を戦艦「ウェリーキー」から戦艦「オスリヤビヤ」に移す。

4 艦隊の前進に対する準備19日~119日)

「ロジェストウェンスキー」中将は、旅順艦隊全滅の報告に接し、海上に於いて戦勝を期すためには一刻も早く全艦隊を率いて前進する他ないと考えたが、この時「フェリケルザム」少将が支隊の多数の艦船に大修理をする必要があるとの報告を提出し又一方で海軍省が艦隊の行動予定を変更した為、長官は止むを得ず114日まで「マダガスカル」島に滞在する事に決めた。しかし艦隊司令長官として、軍艦や運送船の修理等の実情をつぶさに視察した結果出動を119日まで延期する事に決定した。

「ノシベ」湾には郵便局もまた電信局も無く、ようやく115マイル(213m)隔てた「マユンカ」に電信局あるのみである。

19日「ロジェストウェンスキー」中将は艦隊の「ノシベ」湾到着を「ペテルスブルグ」に打電すると共に行動予定の変更等報告する。

この時海軍省から次の通知があった。

「戦艦「ニコライ1世」「セニヤウイン」「アブラクシン」巡洋艦「モノマフ」からなる「ネボガートフ」少将の一隊は1月中旬頃「リバーワ」を出発する予定であり、「ネボガートフ」少将に対し、会合場所を指定せよ。」

 

長官は後援艦隊の到着を待たず、直ちに戦域に向かい、日本の艦隊が旅順港封鎖で被った被害がなお癒えず、諸艦の修理を完成させる暇を与えず、直ちに前進するのでなければ弱勢な艦隊を「ウラジオストック」に入港させる事は出来ない。この際艦隊の前進が最急務であると考えた。

海軍省は、第2太平洋艦隊の特殊な状況に注意を払わず、日本の海軍力に対抗する唯一の第2太平洋艦隊の勢力の増加することのみを考慮した。

 

10日より艦隊は石炭搭載を断続的に行い118日にようやく終わる。

「フェリケルザム」少将の支隊は、「ロジェストウェンスキー」中将が「ノシベ」湾に来るまでは、艦船の修理を行いつつ、毎日多数の兵員に上陸を許し、将校にも勤務の余暇に上陸を許していたが、長官の到着と同時に兵員の上陸は祝祭日のみ許され、しかもその人数を制限されて行状の良好な者にのみ許され、将校の上陸も各自の分隊で作業が無い場合にのみ許される事となった。

「ノシベ」湾停泊中に於ける警戒は、毎日巡洋艦を1隻づつ水平線外に出動させ、泊地の入口には駆逐艦2隻を派遣して警戒させた。各艦はその艦載水雷艇を武装させて沖合いに出動させ、また日没から水雷防禦網を展張し同時に哨戒配備に就き、当番砲に装填し、燈火を隠蔽した。しかし艦隊の静穏は一時の間のみで、長官はあらかじめ命令を発して、艦載水雷艇で艦隊を襲撃する演習を行わせ、各艦は直ちに探照灯を以って攻撃艇を照射した。

114日艦隊は不安の内に新年を迎えた。

115日艦隊は前日の休業を補う為に皆2倍奮闘して仕事をこなした。

各艦はボイラーを清掃し、機械の分解手入れを行い、艦船番号順に石炭を搭載した。尚作業の他に短艇訓練も実施した。

 

長官は1月19日までに艦隊を出港させ、インド洋を渡航するのに差し支えない準備を完成するため全力を注ぎ、各支隊艦船の編成航行序列、艦船が洋上で運送船から石炭を移載する順序及びその運送船がドイツの給炭船から石炭を補充する順序を発令した。

艦隊は、搭載している糧食及び材料の大部分を消費し、将に尽きようとしているため長官は海軍省に対し、東部諸港に貯蔵している機械用材料及び糧食を全部艦隊に送るよう要求した。なお長官は追加して艦隊の所在地を世界が注目している為、艦隊への物件輸送に際してはその目的地を示さないよう要求した。

5 独国載炭船我が艦隊に続行することを拒絶した為艦隊の出動を延期す(119日~120日)

119日艦隊の各艦は祈祷式及び神水式を行う。この日第2太平洋艦隊は困難な航海に対する準備を完了して極東に向かって出港しようとして抜錨の命令を出したが、石炭供給を請け負っているハンブルグ、アメリカン汽船会社が給炭を拒否した為出港を延期した。

英国は、戦域に向かう軍艦に対する石炭その他軍需品の供給禁止はインド洋、「マラッカ」海峡南部、支那及び極東の各植民地に適用するという新たな中立規則を発表した為、洋上に於ける石炭供給も無論禁止された。このためドイツの「ハンブルグ、アメリカン」汽船会社の社長は石炭供給を辞退した。

解説:露国海軍省は、ドイツの「ハンブルグ、アメリカン」汽船会社と契約して数十隻の載炭船を雇用しバルチック艦隊に石炭を供給させてきた。これが破棄されるとバルチック艦隊の極東回航は不可能となる。

この突然の給炭拒絶によって艦隊は「ノシベ」湾出動を延期した。

「ロジェストウェンスキー」中将は一時当惑したが海軍省に運炭船の艦隊随行を切に要請した。給炭拒否は、日本が「露国艦隊に石炭を供給する嫌疑ありと認められた汽船は捕獲する」という通告がハンブルグ汽船会社に達した結果である。

118日即ち「マダガスカル」出動予定期日の前日に長官は独逸会社の支配人から公式に次の通知を受けた。

「マダガスカル」以東に会社の傭船を艦隊の要求に応じて行動することはできない

長官は進退に窮し、直ちに海軍省に次の電報を送った。

「これまで、ハンブルグアメリカ汽船会社が義務を果たしてきた契約を破棄することは、東航に際して非常な打撃である。同会社の汽船には尚5万トンの石炭があり、艦隊の運送船に移載しようとしても不可能な為、前記会社の汽船を本職の指定する集合地へ是非とも前進させなければならない。「マダガスカル」の停泊が1日長ければ1日だけ艦隊に不利となるのでドイツ政府を通じてハンブルグアメリカ汽船会社の説得に尽力し、会社が同意しない場合には、積み残した石炭を破棄し、1週間後に前進する予定であり、その場合には速やかに艦隊の為に「サイゴン」及び「バタビヤ」に給炭船を準備されたい」

解説:「バタビヤ」とは現在のインドネシアの「ジャカルタ」

「ロジェストウェンスキー」中将はドイツの運炭船が前進を拒否した問題で神経を悩まし、自宅宛の私信にも苦悩を訴えている。

「ただ今余は極めて不愉快で興奮している。ドイツの運炭船の問題ではどのように知恵を絞っても名案が浮かばない。さりとて躊躇していれば艦隊は自滅のほか無く、また日本に十分な海戦の準備をさせるばかりか台風の時機に入り、日本人の力を借りなくても我が艦隊の半分を破壊される恐れがある。有名となった「ハル」事件よりも悪い。」

海軍省は「ロジェストウェンスキー」中将の報告に接して、早速ハンブルグアメリカ汽船会社と談判したが同社社長は船員が危険を恐れて戦域に向かわない事を口実にして、ロシアの国旗を掲揚する汽船で東航する事を提議した。長時間に亘る交渉の末会社は独逸政府の圧迫を受け、2月末運炭船に前進を命ずる事を承諾した。

 

たため混乱に陥りつつある。」