第10章 最終の渡航に対する艦隊の準備

   「クアベ」の錨泊及び艦隊の補給

510日黎明、「ネボガートフ」少将支隊の戦艦は全部「クアベ」湾に入り、直ちに投錨し、石炭を搭載する。

「ロジェストウェンスキー」中将も又、第1及び第2戦艦戦隊を率いて海上に於いて、大短艇を使用して、運送船から石炭を積載する。

艦隊は「クワベ」に仮泊すること四昼夜に及びこの間諸艦はエンジン、ボイラーの検査及び修理並びに運送船より石炭、糧食及び材料を搭載する。

軍艦は全部石炭を極度に搭載し、中でも装甲海防艦の如きは、その載炭量は600トン乃至650トンに達した。各艦はいずれも、砲塔の周囲、砲台内、兵員室、士官公室、艦長室に至るまで少しでも隙間のある所には石炭を搭載した。

「ネボガートフ」少将の支隊が佛国の領海に来た為佛国政府の抗議を引き起こし、ペテルスブルグの佛国大使は、艦隊司令長官は佛国の中立を遵守しようとする権利と義務を無視していると述べた。海軍省は植民地官憲の提言する所に適合するよう行動すべしとの命令を発した。

これに対して「ロジェストウェンスキー」中将は諸艦のエンジン検査及び修理が終わるならば、全艦隊を率いて直ちに出動すると回答した。

海上に漂白する戦艦は、大きなうねりのため石炭搭載を継続することができず中止となったので「ロジェストウェンスキー」中将は満足に石炭を搭載するため、戦艦戦隊を率いて「ワン、フォン」湾に入り、徹夜で載炭して、黎明になってその外海に出て、全艦隊に対して出動準備を令し、514日午前5時いよいよ出港の令を発した。

5月13日サイゴンから病院船「カストロマ」来る。

「クワベ」に在泊中は兵員に散歩上陸を許した艦もあったが多くは毎晩兵員に対して講和を行い、愛国心を高める幻燈、戦時に於ける海上や陸上の生活状態を写した絵画を鑑賞させた。

「ロジェストウェンスキー」中将は海軍省から「英国の汽船を拿捕したとの事であるがどのように処置したか」との質問を受け次のように返電した。

「艦隊が船舶を拿捕したとの通信は全くの虚報である。しかし安南海岸を離れた後は禁制品を多量に搭載した船舶は悉く撃沈するつもりである」

2 将校の会合及び相互の訪問に於ける感想談

新来した支隊の将校は、艦隊各艦の将校と会いその感想を交換した。

支隊の将校は、艦隊の将校が憂鬱に沈み気勢が上がらないのに反して、頗る快活である。艦隊の将校は、次の様に語った。

未曾有の困難を極めたこの航海に於いては、皆不慣れな気候に侵され、煩雑な載炭作業及び倦怠な当直勤務に追われ休息の暇がない状態であるのに、単調な食物を取り、しかも最も不便な条件を今後なお忍ばなければならなず、且つ我が海軍が出征準備が不十分であるのに引き換え日本海軍は全ての点に於いて優越していることを知った為士気は甚だ振るわない。実際艦隊の欠点は顕著である為吾人は労力を惜しまず手段を尽くして欠点を補う努力をする必要がある。

司令長官は剛毅な性質と過酷な要求とをもって専ら部下に臨み、模範的にこれを服従させ、もって自己の艦隊は如何なる妨害に出会っても、容易に突破することができるとの確信を部下に持たせようとした。

艦隊司令長官は、司令官及び艦長の対してすら艦隊の行動予定又は戦局の推移等を熟知させる必要はないとして、部下には全て単に命令に盲従することを要求した。

3 支隊の合同した後の艦隊の士気

前記の様な状態である為、艦隊の乗員の士気は非常に消沈し、陰鬱に陥っていたが「ネボガートフ」少将の完全な一支隊と合同したため、俄かに勇気を回復し、多数の者は勝利を確信し、又前途を悲観している少数の者までも、この連合艦隊を巧妙に運用すれば、多大の損害を被ったとしても日本海軍の勢力を減殺して、これを軍港内に閉じ込めつつ、ウラジオストックの巡洋艦戦隊と残存する旅順艦隊と策応して制海権を収めることができるとの望みを持つようになった。

4 艦隊司令長官の戦略及び戦術的方策

「ロジェストウェンスキー」中将は、最後の航海に臨み「如何なる航路を採るべきか」の問題について何人にも諮らず独断でこれを決定した。

ウラジオストックへの突破をすることが急務で、この目的を達成するには最短航路である朝鮮海峡を通過する他ないとして、同海峡付近に集中する日本の戦艦戦隊等と遭遇することを覚悟したが、1904810日の会戦と同様に数艦を失うが多数の艦船を率いてウラジオストックに達することができるものと考えた。

長官の選択した朝鮮海峡は日本海軍にとって最も有利な条件を付与し、全艦隊を遺憾なく活躍させた。しかし若し第2艦隊が日本海軍を、その根拠地からなるべき遠い所へ誘い出すことができたなら、決戦の成果を著しく減却させることができたに違いない。そのため日本の周囲を迂回することが必要であった。

朝鮮海峡を経由する航路に比較すれば、他の航路ははるかに良好であるため長官が他の航路を取らなかった事は極めて遺憾である。要するに我が艦隊の弱点を補足するため戦略上の成算を巧妙に立て、好機を捉えて地理上の利用を図ることが必要であった。

 

無論「ロジェストウェンスキー」中将もこれらの事を考慮したに違いないが津軽海峡は航海するのが困難であり、且つ機雷を敷設されることを懸念し、又第2艦隊の速力は非常に遅く、日本列島を迂回したとしても日本の軍艦に察知され、敵の艦隊は朝鮮海峡と同様に津軽海峡に来襲し我が艦隊を阻止するであろうとした。

又中将は宗谷海峡5月に通過する事はの有無の為不可能であると判断した。

 

この他中将は、運送船及び載炭船の石炭不十分であることを憂い、そのため我が派遣員は石炭を買い入れ、艦隊に送ろうとしたが、英国政府は石炭商に対して、地方官憲の証明を得なくて港内から石炭を積み出すことを厳禁したため、東洋の諸港では遂に第2艦隊に送るべき石炭を入手することが不可能となった。

59日「ロジェストウェンスキー」中将は次の令達を発した。

「「ネボガートフ」少将の支隊と合同した為、我が艦隊の勢力は敵の海軍力に匹敵するに留まらず、戦艦の数に於いて既に敵を凌駕する」

しかし長官は艦隊の乗組員が訓練不足であることを十分承知していた。

 

無線電信装置は複雑を極め、故障が多くその効力は望むべくもなかった。射撃は、弾薬が不足であるため、演習を行うことができず、露国出発以来艦隊の実弾射撃は、「マダガスカル」在泊中の4回のみであった。