第1章 艦隊の出師準備及びクロンシュッタトより「リバーワ」への回航

1 1904年8月23日「ペテルゴフ」に於ける御前会議

第2太平洋艦隊(バルチック艦隊)の派遣時期に関しては、艦隊司令長官は既に雇入れている運送船を一度解雇したならば回航のために再び雇入れるのは不可能であるため艦隊は直ちに出発する必要があると主張し、海軍大臣も同少将の意見に賛成した。

 

しかし会議に参列した他の将官は、艦隊司令長官及び海軍大臣の意見に反対していた。

(1)      日本海軍は戦闘の準備を更に整え、乗員は全部実戦の経験を積んでいるのに反して我が第2太平洋艦隊はその編成すら未完成である。

(2)      回航の途中は苛烈な熱帯地方でありとうてい満足な訓練は出来ない。第2太平洋艦隊の派遣を早める事は徒にその滅亡を早めることに同じである。

(3)      それ故に第2太平洋艦隊は、バルト海で十分に訓練を積み又建造中の諸艦を竣工させ又チリー及びアルゼンチンよりの購入軍艦を艦隊に加え、一挙に戦争の運命を決め得る勢力を持った上で、来春を待ち派遣するのが万全の策である。

 

しかし司令長官の主張どおり結局艦隊は、1904年の秋に出発し「マダガスカル」まで行き、購入軍艦7隻の到着を待ち、1905年3月ウラジオストックに到着するよう計画された。

2 艦隊はクロンシュタット軍港を出港(9月11日)

艦隊司令長官はクロンシュタットに艦隊の在伯する間は雑用が限りなくあり、いつまでも出発する事ができないため、艦隊の領収していない物品は輸送船で受け取ることとし、自ら艦隊を率い「レーウエリ」に回航し、同港に於いて戦闘訓練を行うことを決心した。

艦隊は911日午前9時戦艦「スウオロフ」、「アレクサンドル」三世、「ボロジノ」、「オスリヤビヤ」「ウエリーキー」及び「ナワリン」、1等巡洋艦「ナヒモフ」、「アウロラ」、「ドンスコイ」及び「スウェトラナ」、2等巡洋艦「アルマーズ」駆逐艦「ベドウイ」他6隻の諸艦はクロンシュタット泊地を抜錨し、皇帝の親閲を受けた後9月13日午前7時「レーウエリ」の泊地に投錨した。

 

3 艦隊の「レーウエリ」停泊及び戦闘に関する諸訓練(9月13日~)

艦隊は「レーウエリ」入港の当日より戦闘に関する訓練を開始し「リバーワ」に回航するまで約1ヵ月間これを続行した。

9月21日の日中は、艦隊運動を行いながら移動標的を使って内筒砲射撃訓練を行い、日没からは当直艦を停泊中の湾の入口付近に配置し探照灯で警戒させ、その沖合いに駆逐艦2隻及び艦載水雷艇を派出して巡回させている。艦隊の各艦は日没より戦闘訓練を行い、夜中は大砲の傍に交代で当直させ又小口径砲には弾薬を装填している。

923に演習弾を搭載した輸送船が「レーウエリ」に入港し、各戦艦及び巡洋艦は演習弾100発と75mm砲弾60~150発を搭載した。

925より10月2日まで数回「カルロス」島付近に出動し、同島に立てた標的を射撃して各種の砲熕機関砲を試験した。

926引き続き「カルロス」島の標的を目標に射撃訓練を行い、射撃訓練終了後は艦隊砲術長が主催して各艦の砲術長を集めて研究会を実施し、組織、射撃要領、戦術に関する改善策について討議した。

駆逐艦は9月27日及び29日には75mm砲の射撃を行った。第1回は各射手に5発づつ射撃させ、次いで射手見習いに同じく5発づつ射撃させた。この時の駆逐艦の速力は12ノットであった。

9月28クロンシュタットから回航中艦隊は「スラビ、アルゴ」式無線通信機と輸送船の2隻に装備した「マルコニ」式無線通信機との交信を行い、「マルコニ」式無線通信機の調整を行う。

ロゼストウインスキー少将の特命により行われた無線電信の試験は「レーウエリ」に於いても最初十分な成績を得られなかった。

9月29「スーロフ」は修理後の各種領収試験を行ったが数多くの修理箇所があり、艦内で工事が続行されていた。

「ボロジノ」は更に準備が遅れ、9月13日になってやっと試験を終えている。

「アリヨール」はクロンシュタットの岸壁に係留中、工員のサボタージュで浸水し、触底してしまった。そのため武器等装備品の一部は取り替える必要があり、出動準備は著しく遅れた。そのため艦隊が「レーウエリー」を出港する2日前に合同することが出来た。

新造戦艦で出動準備が完了していたのは「アレクサンドル」三世のみであった。

「オスラビア」は外国から帰国後、艦内各部屋の通風装置の改造工事が9月14日現在も完了していなかった。

103

8月23日の御前会議の2日後、極東軍司令官アレクセイエフ大将は第2太平洋艦隊の派遣について「現在の編成では海戦で勝利を得る事は難しい。我が海軍が有する軍艦の悉く(残存艦艇の全てと黒海艦隊の一部)を編入して始めてその成果を有する」との電報を送った。このため,バルチック艦隊が出発後残存艦隊で第3太平洋艦隊が編成される事となった。

106引き続き「レーウエリー」に留まり訓練中であり、103日、5日、6日は、駆逐艦の魚雷発射訓練を行った。

皇帝は、109戦艦「アリヨール」「ボロジノ」「アレクサンドル3世」「スーロフ」を巡視し、正午全艦隊は抜錨、出航し戦闘射撃訓練を行った。翌10日は巡洋艦、駆逐艦を巡視された。皇帝は各艦において「露国軍艦旗の名誉にかけて任務を完遂することを確信する」と勅語を賜わった。

艦隊は1011日午前6時「レーウエリ」港の停泊地を出発して「リボウ」に向かう。

1列は戦艦4隻、運送船1隻、巡洋艦3隻及び第2列は戦艦3隻、巡洋艦2隻、駆逐艦7隻、運送船1隻であった。

10月12日正午頃、艦隊は「リボウ」の灯船(灯台の代わりをする船)に近づき、順次外港に到着した。

艦隊は外港に停泊中、10月13日戦艦「オスラビア」「アリヨール」の2隻が浅瀬に乗り上げたので曳船で引き離した。10月14日の早朝戦艦「スーロフ」は係留浮標の錨鎖が切断し、漂流を始めた。そのためロゼストウインスキー少将は、軍港で搭載すべき諸物品が未だ搭載されていないにも拘わらず事故が再び発生することを恐れ、同日錨を一旦上げて安全な沖に投錨した。

10月13日「ロゼストウインスキー」少将は海軍技術会議より書面を受け取った。これは戦艦「ボロジノ」の復元力を計算したもので、満載炭の場合2、5フィート(新造時通常搭載炭 4.3フィート)と異常に低く、海洋の航行や戦闘において注意を要する。

2005年5月27日の日本海海戦における戦闘の際、新戦艦の水線部に命中した敵弾の為生じた破孔が原因で沈没した。これは海軍技術会議の指摘が的中した事を証明し、「スーロフ」「アレクサンドル三世」「ボロジノ」も同じ理由で転覆している。

1014日巡洋艦「オレーグ」「イズムルード」「リオン」及び「ドネツブル」は航海をする準備が未完成であるので、海軍大佐「ドブロツウオルスキー」が指揮する一部隊を編成し、遅れて出航して途中で第2艦隊に合流することとなった。艦隊の出航当日入港する駆逐艦4隻もこの部隊に編入される事となった。

 

解説:バルチック艦隊はいよいよ明日「リバウ」を出航して極東に回航することとなるがロゼストウインスキー少将は、艦隊が行動する為の石炭の確保に加えて、1万2千名の乗組員の食糧と熱帯地方での防暑服や北極地方での防寒服を準備する必要があった。当時のロシアの官僚組織を考えるとこれらの準備をするには想像を絶する苦労があったものと思われる。そのためロゼストウインスキー少将は、1日18時間も働き続けたといわれている。今回の出航も全ての準備を完了させる事は出来なかった。