3 バルチック艦隊の極東回航

バルチック艦隊が本国を出港し、石炭、食糧や衣服等の欠乏、酷暑や艦船の故障、病気に悩まされながら地球を半周する大航海をし、日本海にたどり着き、日本海海戦で連合艦隊に敗れるまでの行動を、露国海軍軍令部が発行した「露日海戦史」から抜粋しています。

クロンシュタット軍港

明治37年の世界情勢

63(金曜日)

敵の新艦隊現状

 露都新聞によれば、ネバ河の解氷とともに同河口の各造船所において建造された軍艦数隻が、ぞくぞくと艤装のためクロンシュッタト軍港に回航される模様である。

1904年露国年鑑によればその艦種総噸数は以下のとおり

    戦艦   侯爵スウオーロフ   13,516

    戦艦   スラーブア      13,516t

    戦艦   ボロジノ       13,516t

    戦艦   アリヨール      13,516t

    輸送艦  カムチャッカ      7,200t

    巡洋艦  ジエムチューグ     3,000t以内

     同   イズムルート       同

モロッコのタンジェル港

第2章 艦隊「リバーワ」を出港し「タンジエル」に向かう 

艦隊の「タンジエル」錨泊

艦隊司令長官直卒の第1戦艦戦隊がタンジールに入港したのは11月2日午後3時であった。

タンジールに於いて艦隊は歓迎され、当地の知事は全ての便宜を図ると申し出た。

マダガスカルのサント・マリー島

第3章 艦隊の主力「タンジエル」より「マダガスカル」に向け出動する

1229午前1130分艦隊は「セント、マリー」海峡に投錨する。

「セント、マリー」海峡は「セント、マリー」島と「マダガスカル」島との間を通じ、その幅が10マイル余りあるため、その中央に投錨し、以て中立侵害の抗議を公式に受ける事の無きを期す。

解説:当時の領海は3マイルであり、幅10マイルの中間の5マイルは領海外となる。

マダガスカルのノシベ

第6章 第2太平洋艦隊の「マダガスカル」島出動差し止め

長官は極東に向かって前進しようとして「ノシベ」湾を出動する許可を鶴首して待っていたが許可がないため、さらに「ピータスブルグ」次の電報を発送した。

徒に当地に滞留する事は、敵にその主力を十分整備する時間を与える。「ネボガートフ」支隊と合同して出征するとなれば、到底6月より早く日本海に達する事は出来ない。今同隊と合同するため出港期日を延期するとならば、本艦隊の補給を根底から破壊する恐れがあり、そうでなくとも既に一旦航程を変更させられた為混乱に陥りつつある。」

カムラン湾

第8章 「マダガスカル」島より安南海岸に至る艦隊の航進                 

4月14日黎明より各艦は湾内に進入した。

2戦艦戦隊が進入し、第1戦艦戦隊がこれに続き、最後に巡洋艦及び偵察艦が徐々に湾内に進んだ。巡洋艦「ドンスコイ」及び「リオン」の2艦は海上及び湾口を警備するため湾口付近に残留した。

艦隊の艦船は予め敷設された浮標に係留したが湾内は広く、配列表に従って位置に就いた諸艦船は互いに非常に離れた距離であった。

「ノシベ」湾より「カムラング」湾まで航走した艦隊の航程は4560マイルであった。

ホーチミン(旧サイゴン)とカムラン

第9章 安南海岸に於ける第2太平洋艦隊      

司令長官は艦隊の出動前に海軍大臣に宛てて、次の電報を発信した。

「約束の石炭は、422日までに1トンもサイゴンに於いて受け取っていない。ハンブルグ・アメリカ会社の汽船その他の汽船も搭載し、来ていない。佛国政府の要求により、止むなくその領海外に退去せざるを得なくなった。本職は公海に留まって、サイゴンとの連絡を保つ予定である。艦隊の石炭の供給について、安心を得ない限り、一歩も目的地に向かって進むことができない。艦隊が海上に留まる限り日々消費する石炭は千トンにもなり進退に窮する。石炭の納入契約を結んだ業者に対してピータースブルグから切実な督促を行われる事が急務である。」

南シナ海

第11章 安南海峡より朝鮮海峡に至る艦隊の行動

艦隊はいよいよ514午前5時「クアベ」を出港する。この日天気は極めて快晴であった。

先ず駆逐艦が抜錨し先頭となり、続いて巡洋艦、運送船、第3戦艦戦隊の順で出港した。

「ロジェストェンスキー」中将は第1、第2戦艦戦隊を率いて海上に漂泊し、湾内から出港する諸艦を待って、午前9時頃、完全に隊形を整えた。この時海岸に接近して錨泊する佛国巡洋艦1隻が我が艦隊の行動を監視しているのが目撃された。

午前9時20分航行陣形を作り、8ノットの速力で針路を北に取る。11時40分となり針路72度に変針し台湾島に向い速力を9ノットに増加する。

対馬海峡

第11章 安南海峡より朝鮮海峡に至る艦隊の行動

5月26日黎明、数隻の艦船間で無線通信が行われている事を知った。しかも30マイル乃至40マイルの距離と推測されるが、ひどい曇天であり水平線には何ら敵を見なかった。しかし電信の交換は終日にわたって絶えず行われ、夜になって漸く止んだ。

正午頃日本の偵察艦らしき白色の商船を右弦正横に見る。

艦隊は戦闘準備を行いながら航進し、可能な限り木造の部分を全て撤去し、短艇には水を入れ、水雷防御ネットで包み、司令塔には鎖索を巻きつけ、又甲板には炭袋と砂袋で壁を設けた。

各砲には砲員を配置し小口径砲には砲弾を装填し、ますます警戒を厳重にする。

午後4時30分「戦闘準備」の信号が掲る。