強権国家ロシアは何故生まれたか

1904年に始まった日露戦争当時、世界の列強は全国民を対象とした義務教育制度があり、当然日本もそうであった。しかし列強の中でロシアだけは違っていた。日露戦争が終わった頃の新聞に、ロシア皇帝ロマノフ2世がアメリカの新聞社主とのインタビュウに応じた記事があった。その記事は、新聞一面の半分位を使用した長文のもので、その中で、皇帝は、ロシアに義務教育の無い悩みを述べていた。皇帝の言によれば、当時のロシアの人口は1億4千万人であり、その中で教育を受けている人口は僅かに1千万人に過ぎなかった。当時のロシアは農奴制で、農民には教育の機会が無く、皇帝はこれに悩んでいる様子が書かれていたと記憶している。皇帝はその人達を教育する場所として、軍隊を挙げていた。軍隊が徴兵で入隊した若者達に教育の機会を与えた。

 

他の列強と呼ばれていた国々と比較すると、教育を受けた人口が1千万人とはあまりにも少ない数で、皇帝が悩むのは当然である。ロシアはその後1918年のロシア革命、ソ連の誕生と内乱、第2次世界大戦、1991年ソ連の崩壊とロシアの誕生と続く。この様にロシア人は、最近の百年間だけ見ても、十分な教育の機会に恵まれず、唯、過酷な運命に晒されて来たと言える。憲法9条で国が守れると考える様な「ゆるきゃら民族」には、この様なロシア民族を理解しようとしても当然限界があるであろうが、これがプーチンの強権政治の誕生する所以であるように思う。中国にも同様な事が言える。