ベゾブラゾフ

ロシアの皇帝ニコライ2世は、大蔵大臣をしていたウイッテを閑職に追いやり、ベゾブラゾフ一派が説く、極東の魅力に引き込まれ、極東開発に乗り出してしまった。その為、1903年ウラジオストックに極東統監府を設けて、海軍中将アレクゼエフを統監に任命した。そして翌年、日露戦争を始めてしまった。

その結果、露国経済界は大打撃を受けた。開戦半年経過した頃の新聞によると

「シベリア鉄道が専ら軍用となったため、シベリアと本国との通商は、全くと言っていいほど杜絶してしまった。従来シベリア貿易の中心であったモスコー市が最初にその影響を受けており、数社の大商会は止むを得ず支払いを停止した。又ポーランドは最も戦争の悪影響を受けており、開戦後間もなく同地の外国銀行はポーランド商人に対する貸出を引締めたため、さしも盛大を極めた同地の工業もたちまちにして衰退して、ロッズだけで1万5千人の労働者が失業した」。(東京朝日新聞190474日)

そして日露戦争に敗れ、ベゾブラゾフ一派の極東開発は夢と終わった。

 

同様にプーチンのウクライナ支配も夢と終わるであろうと思う。