明治40年3月26日(水)

台湾民政評論 軍政を民政に変更した故児玉総督の技量を称賛し、台湾における日本人の施政は一大成功であると結論している。

巴奈馬運河視察 陸軍卿タフト氏はパナマ運河開削工事の状況を視察する為パナマに向かって出発した。

摩洛哥動揺別報 佛国医師モウシヤ氏がモロッコのマラケス市街に於いて銃撃され、更に石によって打ち殺された。

台湾民政評論 25日タイムス社発

「スペクタートル」紙は台湾に関する竹越代議士の著述を綿密に批評し、軍政を民政に変更した故児玉総督の技量を称賛し、台湾における日本人の施政は一大成功であると結論している。

解説:日清戦争の結果、1895年馬関条約により台湾は日本の領土となり台湾総督府が置かれた。児玉源太郎は、樺山資紀、桂太郎、乃木希典に次いで第4代の台湾総督となり、後藤新平を民政長官に迎え、台湾の近代化を推進した。

巴奈馬運河視察 同上

ワシントン来電―陸軍卿タフト氏は最近陸軍技師の監督に移管されたパナマ運河開削工事の状況を視察し、且つ運河地帯の民政を改革する為パナマに向かって出発した。

摩洛哥動揺別報 25日上海経由ロイター社発

佛国医師モウシヤ氏がモロッコのマラケス市街に於いて銃撃され、更に石によって打ち殺された。この報に接し直ちに佛国政府は、巡洋艦ジェネデールに対し、即刻モロッコに向けて出港するよう命じた。そして佛国は手厳しい賠償を要求するものと信じられている。

殺害の原因は同医師が測量の為に旗竿を立てたのを見て、無銭電信を据え付けたと誤解したことによる。

英国領事館もまた石を投げつけられたが英国居留民は皆ぶじで、皆屋内に立てこもり、モロッコ兵の保護を受けている。