明治40年3月3日(月)

海軍平和会議 1907年の英国海軍予算は、前年度に比べて1427091ポンドの減額を示し、人員も1000名を削減している。

軍備縮小案 英国政府は、軍備縮小案を平和会議に提出する意思がある。尤も如何なる形式で提出するべきかなお未定である。

海軍平和会議 1日上海経由ロイター社発

1907年の英国海軍予算は、前年度に比べて1427091ポンドの減額を示し、人員も1000名を削減している。そして1907年度の清韓建造費は810万ポンドで2隻のみ建造の予定である。尤もハーグの平和会議に於いて強大な海軍国の間に協定を見る事ができない時には、

ドレッドノート型よりやや大きい戦艦3隻、快速巡洋艦1隻、外洋航行できる駆逐艦5隻、水雷艇12隻及び潜航艇12隻を新造する予定である。

解説:第1次世界大戦まで7年、ドイツ海軍大臣テルピッツ提督は、1900年に第2次建艦法で1920年までに戦艦38隻を常備し、イギリス海軍に対抗する計画を立てていた。イギリス海軍はこれに対抗し、海軍国としての力を維持する必要があった。

軍備縮小案 2日ベルリン特派員発

英国政府は、軍備縮小案を平和会議に提出する意思がある。尤も如何なる形式で提出するべきかなお未定である。そして列国の政府は理論的にこの問題を討議する事には特に異議がない旨を英国に回答している。本件に関して列国の間に何らの打合せがないというロイター電の報道は誤っている。

解説:ここにある1907年のハーグの平和会議では、結局1899年のハーグ陸戦協定の改定は行われたが海軍軍縮は行われなかった。なおこの会議に韓国皇帝高宗はロシア経由で密使を派遣し、第2次日韓協定の無効を訴えようとしたが外交権がない為に参加を拒否されている。