明治40年2月27日(木)

黒鳩将軍抗弁 クロパトキン将軍は、ポーツマス講和条約は国内の情勢に迫られ止むを得ず承諾した早計な処置であった。そうでなければ露軍は満州に於いて披露困憊した敵兵を撃破する事が出来た

奉天城内居住問題 奉天将軍は支那人側をつついて日本人を城外に追い出そうとこのような告示を出させたものと思われる。

黒鳩将軍抗弁 25日タイムス社発

露都来電―クロパトキン将軍はノウオエ、ウレミヤ新聞に書簡を送り、将軍の日露戦史は総司令官であった自己の地位を擁護する為ではなく、ただ敗戦の理由を分析し、研究しようとしたまでである。満足のいく終結を見るまで戦争を継続する事が出来なかったのは、一つは国内の騒動による。事実有りのままの充分な戦報を公表できなかったのもこの騒動の為である。各軍司令官の失策は、ある場合には、独断専行の権能を許容しない軍制の不備に起因すると論じ、なお露国にとって不面目なポーツマス講和条約は、国内の情勢に迫られ止むを得ず承諾した早計な処置であった。そうでなければ露軍は満州に於いて披露困憊した敵兵を撃破する事が出来たと評し、最後に内政の改革が実行される事になれば露国の軍事的権勢は再び確立されるであろうと確信する旨を告白した。

解説:ロシアの良心ともいえる宰相ウイッテは、皇帝ニコライ二世に対し、極東進出に反対する主張を曲げず罷免され、彼が再び政治に登場したのはポーツマス講和会議であった。ウイッテに比べるとクロバトキン将軍はお粗末な将軍といわざるを得ず、約10年後にロシア革命が発生している。

奉天城内居住問題 26日奉天特派員発

奉天将軍趙ジ巽(ちょうじそん)は巡警局に次の告示を出させた。今後奉天城内で外国人に家屋を貸そうとする者は、全て当局に届け出てその許可を受けなければならない。これは先日各国領事から、趙(ちょう)将軍が奉天全市の開放を承認しなければ開埠会議にも応じる事は難しい旨最後通告を受けたので、もはや再び抗弁する勇気がなく、この上は支那人側をつついて日本人を城外に追い出そうとこのような告示を出させたものと思われる。これに対して近日中に領事会議を開いて強硬な抗議を行うであろうと言われている。