日米妥協後事 大統領ルーズベルト氏は昨日20日正午、両院を通過した移民改正法に署名した
日米妥協後事 21日桑港特派員発
大統領ルーズベルト氏は昨日20日正午、両院を通過した移民改正法に署名した。
国務卿ルート氏及び青木大使は相互的労働者渡航禁止条約協定に多忙を極めている。
日本の一部に反対があるけれども顧みられず、その成立は疑いなしと云われている。若し大統領ルーズベルト氏とサンフランシスコ市長との会見で満足な解決が得られないならば、日本は青木大使を召還する予定であるとワシントン電報は報道した。
今から一週間後にサンフランシスコ市長が当地に帰着したなら、直ちに日本児童は就学するであろう
労働者渡航禁止条約の締結は、在米同胞の発展を阻害するものであると在留邦人は大いに憂慮し、反対運動を起こそうとしている。日本人が渡米禁止となっても、当地方における同胞の迫害は止まないであろう。
解説:今まで清国人等は、移民禁止の対象となっていたが、日本人は対象外であった。しかし1906年のサンフランシスコ大地震の後、州政府は学校の倒壊を理由として、日本児童の東洋人学校への転校を命じた。これが発端となってこの問題は発生した。この隔離命令はルーズベルト大統領の異例とも言える干渉により翌1907年撤回されたが、その交換条件としてハワイ経由での米本土移民は禁止されるに至った。
其の後1908年、林董外務大臣とオブライエン駐日大使との間で一連の「日米紳士協定」が締結され、米国への移民は日本政府によって自主的制限がされることとなった。