明治40年2月14日(金)

桑港事件交渉頓挫 ワシントンに於ける学校問題会議は、現在非常に停滞しており、、この問題は、90名内外の日本人児童の教育問題ではなく、カルフォルニア州の体面及び州の権限に関する大問題である

移民制限問題 市長がカルフォルニア州方面から受けた電報は、学校問題に関する事は少なく、日本移民の制限に対する要求が多い。

桑港事件交渉頓挫 12日桑港特派員発

ワシントンに於ける学校問題会議は、現在非常に停滞しており、サンフランシスコ市長は、日々カルフォルニア州方面から「屈服してはならない」と述べる電報を34百通受け取っており、この問題は、90名内外の日本人児童の教育問題ではなく、カルフォルニア州の体面及び州の権限に関する大問題であると称している。サンフランシスコ市長は、当地への電報で、我らは未だ大統領と日本人排斥事件について、討議していない。我らは、土曜日先方の主張を聞き、昨日月曜日は、先方へ我らの主張を提起した。我らが譲歩するか、大統領が譲歩するのでなければ、一致協力する事は無いであろう。多分木曜日又は金曜日に再び大統領と会見する事になるであろうと述べている。

移民制限問題 同上

市長がカルフォルニア州方面から受けた電報は、学校問題に関する事は少なく、日本移民の制限に対する要求が多い。大統領は、現在、日本に対して、移民相互引揚案を提示する事は出来ず、又約束する事も出来ないと断言したと伝えられている。要するにサンフランシスコ側は、日本移民について、何らかの約束を取り付けたい様である。

解説:日本人排斥問題は、日本人が低賃金で働く優秀な非白人である事に起因するが、1906年のサンフランシスコ大地震で、学校が倒壊した事から、日本学童は東洋学校へ行けとの命令が市長から出された。翌年の1907年これは撤回される事になるがその当時の記事である。そして1908年には、日本政府による渡米の自主規制が始まり、1924年になって排日移民法が成立した。