明治40年1月25日(土)

チャーチル氏 文部大臣バールレン氏がアイルランド事務大臣に就任した事は、野心家である植民地次官チャーチル氏の鼻を折った近頃の快心の出来事であると言われている。

チャーチル氏 24日タイムス発

文部大臣バールレン氏がアイルランド事務大臣に、大蔵省次官マツケナ氏が文部大臣に就任した事は、一部の植民地関係者及びユニオニスト党の間で、野心家である植民地次官チャーチル氏の鼻を折った近頃の快心の出来事であると言われている。

氏の南阿に対する政策やチェンバレン、ミルナー氏等に対する不遜の言動が、本国や植民地で非常に忌嫌われている為である。信頼すべき筋の話によれば、氏は、アイルランドの担当になる事を熱望していた。しかしアイルランド選出議員は、氏に反対し、氏が南阿に対する様な行動を、再びアイルランドに対して試みる苦痛には耐えられないとの決心を表明したので遂に意の如くならなかったのである。