明治39年9月27日(金)

クレテと英国 列国軍隊と叛徒の間に銃火の交換があり、双方に負傷者を出した。

米国干渉の機会 更に多数の軍艦がキューバに派遣を命じられ、7千の米兵は、上陸の準備を既に終わっている。

クレテと英国 26日上海経由ロイター社発

ジョージ親王は、クレテを出発した。同島の叛民は、親王が乗船の場合には、列国軍隊の行動が一致しない事を予想して、ハレバに集合した。そして列国軍隊と叛徒の間に銃火の交換があり、双方に負傷者を出した。その為英国巡洋艦パルハムは、海兵隊及び機関砲を陸揚げした。

解説:クレタ島は、オスマン帝国領であったが、1888年以降住民の多数がギリシャへの併合を目指す様になる。1906年現在は、ギリシャの派兵を欧州列強が阻止し、オスマン帝国の下で自治権を持ったクレタ州となっている。1913年ギリシャ領となる。

米国干渉の機会 同上

キュウバ政府は、平和談判の条件を拒否したが、キュウバ政府の態度に関する米国国務卿代理タフト氏の報告に不満がある。更に多数の軍艦がキュウバに派遣を命じられ、7千の米兵は、上陸の準備を既に終わっている。