明治39年5月22日(水)

南昌事件行悩 外務部は、譲歩の方針であるが軍機処及び大官等は、絶対に佛国の要求に反対し、

南昌事件行悩 21日北京特派員発

南昌事件に対して、外務部は、譲歩の方針であるが軍機処及び大官等は、絶対に佛国の要求に反対し、何回か決定しようとしたが、なお決定せず、各省の督撫(とくぶ)及び御史(ぎょし)等も又強硬な意見を主張している。

又伍廷芳(ごていほう)はその顛末を世界に発表し、世論に訴えてその是非を決定するべきであると主張している。