桑港震災後報 サンフランシスコでは、次々と復旧工事が始まっている。
本日までに発見された死者の総数は、約500名であるが、この上どの位増えるかは未だ全く予想がつかない。
南昌教案と英仏 24日上海特派員発
英仏公使は、清国外務部と南昌教案に対する交渉を開始した。
桑港震災後報 24日上海経由ロンドンロイター社発
サンフランシスコでは、次々と復旧工事が始まっている。
本日までに発見された死者の総数は、約500名であるが、この上どの位増えるかは未だ全く予想がつかない。
評価に堪能な者の計算によれば、今回の震災に於ける損害の総額は、約6億円で在り、この内保険入っていたもの約3億5千万円と言われている。
ここに注目すべきは、鋼鉄造りの高層建築は、有名なコール新聞社を始め、内部には多少の損傷を受けたものの、外部は完全に無事であった事である。
南昌教案と英仏 24日上海特派員発
英仏公使は、清国外務部と南昌教案に対する交渉を開始した。
英国は、単に3万両(テール)を要求するだけで、決着すると思われるが、佛国は、江西(こうせい)巡撫(じゅんぶ)、布政使(ふせいし)、安察使(あんさつし)に対する上諭(じょうゆ:君主が諭す事)の処分をされたのに不満足で、更に南昌(なんしょう)知府(ちふ:府の長官)、新建懸知懸(ちけん:懸の長官か)並びに参将(さんしょう)1名も更迭し、3名の紳士を懲罰する事、73万5千両を賠償すること、紳士等は教会に来て、謝罪し、亡くなった宣教師の為に記念碑を建設する事等を要求した。外務部はこの要求に対して反発している。
解説:明治39年2月29日、4月1日に関連記事がある。