明治38年11月2日(木曜日)

露帝降伏

独裁政治の最後 内乱に対して露帝が新たに発した詔勅の内容は、露国民に身体の自由、言論の自由、ヘピアス、コルパス等で独裁政治が最後となった

新政権とウイッテ ウイッテは皇帝にこの様な詔勅を裁可し、署名させる為に当日は懸命にその力を尽くした

自由を得た露国人 露帝の詔勅はピータスブルグ市内の至る所に掲示され、人民は非常に歓喜している

露帝降伏

独裁政治の最後 31日ワシントン特約通信員発

内乱に対して露帝が新たに発した詔勅の内容は、露国民に身体の自由、言論の自由、ヘピアス、コルパス(記者注、チャールス二世の時代に通過した有名な法律の名前で、これによって英国人は正当な裁判官の裁判を受けた後でなければ監禁される事がなくなった)の権利、代議士選挙権、並びに国会に於いて法律案に協賛する権利を与えられ、独裁政治が最後となった。

新政権とウイッテ

ウイッテは皇帝にこの様な詔勅を裁可し、署名させる為に当日は懸命にその力を尽くした。

詔勅を発布した結果、ペテルスブルグの市民は非常に歓喜して、鉄道業者の罷工も終わりを告げようとしている。

ウイッテは総理台大臣となり、内閣を組織するであろうと信じられている。

自由を得た露国人 1日上海経由ロンドンルータス社発

露帝の詔勅はピータスブルグ市内の至る所に掲示され、人民は非常に歓喜している。

市内に充満している民衆は佛国の国歌マルセーユの代わりに露国の国歌を歌いつつ、自由万歳、皇帝万歳を唱えた。

民衆はコサック兵を取り囲み、諸君は郷里に帰るべきであり、最早ここに居る必要はない。我々は自由を得たと唱えたため、コサック兵は非常に困惑した。