明治38年10月28日(土曜日)

日本と英国大使館 英国皇帝陛下は東京に在る英国公使館を近々大使館とする事を決定されたと言われている

露国内政の現勢 ウイッテ伯は、逓信大臣ヒルコフ公と協力して、鉄道吏員の同盟罷工を鎮定する事に尽力している

日本と英国大使館 27日上海経由ロンドンルータス社発

政府筋の報道によれば英国皇帝陛下は東京に在る英国公使館を近々大使館とする事を決定されたと言われている。

解説1905年(明治38年)122日に在イギリス公使館が昇格して大使館となっているが、日露戦争(19041905年)を経て、日本の実力が徐々に各国に認められるようになり、日露講和会議の直後には、イギリスとアメリカの両国より、日本と大使交換をおこなう準備があるとの意向が伝えら、日本政府はこの提案に応じて、まずイギリスとの間で大使交換が実現し、在英公使館が「大使館」に昇格している。

露国内政の現勢 26日ベルリン特約通信社発

ウイッテ伯は、逓信大臣ヒルコフ公と協力して、鉄道吏員の同盟罷工を鎮定する事に尽力しているが、露国の内政は、現在最悪な状態であり、同盟罷業は殆ど全国至る所で行われ、一切の交通が全く途絶してしまっている。