明治38年10月15日(日曜日)

独逸とホッテントット アフリカ土人ホッテントットの酋長マレンゴは、激戦の末独逸軍の陣地ゼルサレムを攻略した。

独逸未だ解けず 独逸の半官新聞の論調から見ると独逸はマンタ記事の公式の取り消しを望んでいるようである。

独逸とホッテントット 13日上海経由ロンドン特約通信員発

ウピントンから希望峰植民地政府への電報によれば、アフリカ土人ホッテントットの酋長マレンゴは、激戦の末独逸軍の陣地ゼルサレムを攻略した。独逸軍は尉官1名、兵卒6名が殺され、8名が負傷した他皆捕虜となり、武器を奪われた後釈放された。ホッテントット土人の方には一人の死傷者もなく、独逸軍の軍需品や糧食品を全て捕獲した。そして独逸軍捕虜にホッテントット族は攻勢を取る準備をしており、勇戦して有終の美を飾ると告げた。酋長マレンゴはクリッブラートに進軍中であり、同地の守備兵は自ら糧食を焼いて退却した。

解説:植民地支配でベルギー人のコンゴ統治とオランダ人によるインドネシア統治には残忍な面がみられるが独逸領南西アフリカに於いてはホッテントット族に対する無差別な民族浄化が行われた。次のホームページに詳しい記述がある。

ホッテントット蜂起 http://ww1.m78.com/topix-2/hottentotto%20uprising.html

独逸未だ解けず 14日上海経由ロンドンルータス社発

ベルリンに於いては、英国政府は独逸に対して非公式にマタン記事は無根であると伝えたと信じられている。しかし独逸の半官新聞の論調から見ると独逸は尚これには満足せず公式の取り消しを望んでいるようである。英仏両国に於ける意見は独逸のこの希望を肯定的に見ている。

解説:マタン記事の内容は「明治381012日(木曜日)独逸の解釈」に記述されている。