明治38年9月27日(水曜日)

オーストリーハンガリー連合紛糾 オーストリー帝がハンガリー政党党首等を立ちながら引見し、独逸語で粗略に話しかけ、僅か4分間の後退出した事に就いて非常に激昂している

露帝の布告(満州軍に対する) 

日本は一切我が国の条件に従ったが樺太島で現に占領している部分の還付する事を求めた。蓋し同地方は1875年まで日本が領有していた所であり、その後条約により露国に譲られたものである。

オーストリーハンガリー連合紛糾 26日上海経由ロンドンルータス社発

ブタペストに於いてオーストリー帝がハンガリー政党党首等を立ちながら引見し、握手もせず、独逸語で粗略に話しかけ、一同にには発言の機会を与えず、僅か4分間の後退出した事に就いて非常に激昂している。

党首等は昨朝デラキー伯に対して皇帝の言われた条件では内閣を組織する事は出来ないと通告した。デラキー伯はこれに対して皇帝の返事を伝達すると約束した。

露帝の布告(満州軍に対する) 

露帝がリネウイッチに与えた平和克服の電報は次のごとし

ポーツマスに於ける談判は819日に我より樺太の割譲、償金の支払い、在中立国船舶の譲渡並びに太平洋海軍力の制限の件を拒絶するに至った。その後の談判により829日に至り、日本は一切我が国の条件に従ったが樺太島で現に占領している部分の還付する事を求めた。蓋し同地方は1875年まで日本が領有していた所であり、その後条約により露国に譲られたものである。

朕が忠勇なる軍隊は過去19カ月間満州に於いて兵数上優勢な敵の攻撃に耐え、その進軍を堅く防ぎ止めた。(以下略)