明治38年8月25日(金曜日)

媾和特報 またまた来る26日迄会見が延期となった。

タフト乗船帰航 汽船マンチュリヤ号がマニラより帰港したが、フィリピン土人の男女学生36名(内女3名)が米国留学の途中で乗船していた。

媾和特報 23日午後4時ポーツマス特派員発

午後2時から会見が行われ、またまた来る26日迄会見が延期となった。

タフト乗船帰航[長崎]

汽船マンチュリヤ号がマニラより帰港したが、フィリピン土人の男女学生36名(内女3名)が米国留学の途中で乗船していた。この船はタフト氏一行を乗せ、マニラに送り、当市長宛て歓待の謝礼の信書を託し、又来るフィリピン統治策の一環として今後数回、土人の学生を米国に送ると船員は語った。

解説:タフト氏は1901年から1904年までフィリピンの初代知事を成功裡に務め、1904年には、ルーズベルト大統領がタフトを陸軍長官に指名、1908年には第27代米国大統領となった。