明治38年8月9日(水曜日)

談判地到着延引 ウイッテ氏はボストンからの知らせによると氏は、同夜到着せず7日夜到着する

排米運動と外商 支那と商業関係が厚い列国が互いに連合して支那政府を諭すべき時期が既に来ていると信じられる

談判地到着延引 7日ポーツマス特派員発

ウイッテ氏は風浪の為船に酔い、6日ボストンの南ロードアイランド州ニューポートに上陸し、汽車にてボストンに到着し、一泊する予定であったがボストンからの知らせによると氏は、同夜到着せず7日夜到着するとの事で、その為全権のポーツマス着は8日の晩か9日の朝と思われる。

排米運動と外商 8日上海特派員発

排米団結がますます強大になるに従い、露国機関新聞紙等は声を高くして、排外的性質があるものと見做して、熱心に之を主張する為、居留外人も幾分か影響され、英国人は英公使に対して、又外人の商業会議所は首席公使に電報して、支那政府に忠告する事を建議した。

今日までには排米運動は決して、一般的排外の兆候は無く、単に米国に対する復讐に外ならないが、支那と商業関係が厚い列国が互いに連合して支那政府を諭すべき時期が既に来ていると信じられる。