明治38年7月6日(木曜日)

露国全権随員 露帝は大蔵省官吏シボフを全権委員随員に選任した

清国賠償金支払い問題 列国が償金を金貨で支払うよう要求する

叛艦の行方 叛艦ポテムキンはオデッサに引き返し、食糧その他要品を積みこみ中である

露国全権随員 5日ワシントン特約通信員発

露帝は大蔵省官吏シボフ、駐清公使ポコチロフ、公法家マルテンス博士及びイエルモロフ将軍を全権委員随員に選任した。

日本も多分同数の随員を選任するであろう。

清国賠償金支払い問題 5日ベルリン特約通信社発

列国が拳匪の乱に関する償金を金貨で支払うよう要求するであろうとの報道は確実である。

解説:拳匪の乱とは義和団の乱の事であり、当初は義和団を称する秘密結社による排外運動であったが、1900光緒26年)に西太后がこの反乱を支持して清国が621に欧米列国に宣戦布告したため国家間戦争となった。だが、宣戦布告後2ヶ月も経たないうちに欧米列強国軍は首都北京及び紫禁城を制圧、清朝は莫大な賠償金の支払いを余儀なくされる。

叛艦の行方 

その筋に達した報道によれば、叛艦ポテムキンは水雷艇二百六十七号を率いてルーマニアのクステンチ港に到達し、食糧を要求したが同所官憲に拒絶され、やむを得ず又オデッサに引き返し、食糧その他要品を積みこみ中である。