明治38年7月3日(月曜日)

南露戒厳令施行 南露の大部分に戒厳令が施行された

オデッサ現状 オデッサの中央停車場は、焼かれた

南露戒厳令施行 1日ロンドン特約通信員発電

南露の大部分に戒厳令が施行された。謀反軍艦クニアージ、ポテムキンは降伏したとも或いは沈没したとも言われ、色々な情報が流れている。

各地方からの報道によれば、反乱により人民がばらばらとなり、困り果てている様子を見ることができる。反乱は、危険極まりないものの様に思える。

ペテルスブルグではまたもやストライキが起きる気配が見られる。

オデッサ現状 1日上海経由ロンドン特約通信員発

オデッサの中央停車場は、焼かれた。請願書を提出したため銃殺された水兵の葬式は非常に人気が高い抗議運動とあったが、その当時は特に不規律の点もなく、巡査も軍隊も沿道に居なかった。焼かれた商船の中には義勇艦隊のサラトフ(8558トン)もいた。