明治38年6月9日(金曜日)

海戦余聞 敵将自殺せんとす 「ネボガートフ」少将は腰からピストルを出して、自殺をしようとした

露国革命難 露国人民中一億二千六百万は全くの無学である

スエーデンからの分離 ノールウエー議会はスエーデンと君主を共にする関係の断絶を宣言

海戦余聞 敵将自殺せんとす

「ネボガートフ」少将が一時笠置艦に収容されたが、我が山屋艦長は彼と握手して、慇懃に慰めた。彼は身長が高く、豊かな頬、鋭い眼、豊かな髭を蓄え、風采は頗る立派であった。身には海軍少将の略服を着ていた。挙動は非常に沈着であったが腰からピストルを出して、自殺をしようとした。山屋艦長及び機関長が飛びつきピストルを取り上げたと言われている。

解説:「ネボガートフ」少将は、バルチック艦隊の次席指揮官であった。「ロジェストウェンスキー」中将が負傷した後、指揮を引継いだが、528日、日本海軍に降伏した。

山屋艦長とは、その後海軍大将となった山屋他人であり、お孫さんの「優美子」さんは、皇太子妃「雅子」さまのお母さんです。

露国革命難

米国連合通信社総取締役メルビル、イーストーン氏がニュヨーク・トリビューン紙に寄せて、露国に於ける革命の困難を論じたものである。

丁度戦争が始まる少し前に、私は露帝に謁見を遂げ、露国の改良すべき施政について言上したが露帝は次のように述べられた。

「露国の改良すべき問題は他の国々とは大分趣が違う。露国人民中一億二千六百万は全くの無学である。無資産の青年が大学に入学し、卒業する。ところがその知識を利用して生計の資を作るべき所が無いので、何時とはなしに不平家となり、革命党となってしまうのである。

国民教育の改良として、我々は成るべく多数の人民を陸軍に採用することを考えたが、これは戦争をする為ではなく、これを教育する為である。自分は軍隊にある者の全員に、初歩の教育を受けさせ、兵役が満期となって除隊するまでに、一応読み書きのできるようにしたいと思っている。この様にして初歩の教育と軍隊の訓練とを与えることが出来たなら、これら無知の民を導いて、良い公民にする上で非常に役立つと言わなければならない。」

スエーデンからの分離

ノールウエー議会はスエーデンと君主を共にする関係の断絶を宣言し、スエーデン皇族の一人を迎えて君主に奉戴することを皇帝に要請する決議を行い、仮政府を設けた。仮政府はこの決議を皇帝に奏上したが、皇帝は子の処置を裁可しない旨返答をされた。

解説:ノールウェーは、1814年デンマークがスウェーデンに割譲したが、1905年結局スウェーデンとの関係を解消し、ノールウェー王国独立した。