明治38年5月31日(水曜日)

旗艦撃沈 敵帥捕虜:ロジェストウェンスキー提督は石見沖に漂流中我に収容された。

東郷大将戦闘報告 

其の四:日本海の海戦と呼称する。

其の五:アドミラル、ウシャーコフを午前6時過ぎやむを得ずこれを撃沈した。

其の六:オスラビア((戦艦)ナワリン(戦艦)の沈没は確実であると認める。

旗艦撃沈 敵帥捕虜

敵の旗艦クニヤージ スーロフ(戦艦1万3千5百16トン)は海戦中撃沈されロジェストウェンスキー提督は他の軍艦に将旗を移したが、同艦もまた撃沈されて石見沖に漂流中我に収容された。提督は腕部に重症を受けているとの電報があった。

東郷大将戦闘報告 日本海海戦に関する連合艦隊司令長官報告

其の四(5月30日午後着電)

5月27日午後より翌28日にわたり沖ノ島付近から鬱稜島付近までの海戦を日本海の海戦と呼称する。

其の五(5月30日午後着電)

連合艦隊の大部分は前に電報した様に、一昨28日午後リアンコルド岩付近に於いて、敗残艦隊の主力を包囲攻撃してその降伏を受け、追撃を中止したが、午後3時ごろ更に南西方向に敵艦アドミラル、ウシャーコフの逃走するのを発見し、磐手、八雲は直ちにこれを追撃し、先ず降伏を勧告したが敵が応じないため午前6時過ぎやむを得ずこれを撃沈し、生存者3百余名を救助、収容した。以下略

其の六(5月30日午後着電)

オスラビア((戦艦)ナワリン(戦艦)の沈没は確実であると認める。

敵の損害を艦種別に区別すれば

     撃沈   捕獲

戦艦   6隻   2隻

巡洋艦  5隻   

海防艦  1隻   2隻

特務艦  2隻

駆逐艦  3隻   1隻

(長文のため抜粋)