明治38年4月25日(火曜日)

敵艦隊出る 露国艦隊は422日カムラン湾を出発した

佛国外相の留任 首相等の勧告を受け入れて留任する事に決定した

住民の災難 収穫は云うまでもなく、畑は防禦工事のために荒らされ、あらゆる家は徴発された

敵艦隊出る

佛国政府から我が政府に対して次の通告があった。

インドシナ総督からの報告によると露国艦隊は422日カムラン湾を出発したが但しその目的地は不明である。

佛国外相の留任

佛国外相デルカッセ氏はモロッコ問題及びカムラン湾事件に関する新聞紙の攻撃に対して責任を取る為辞表を提出していたが首相等の勧告を受け入れて留任する事に決定した。

住民の災難(一兵卒の所見)

会戦がある度に最も気の毒なのは相も変わらずその住民である。沙河の戦いで対陣している時、第1線に挟まれた所では、収穫は云うまでもなく、畑は防禦工事のために荒らされ、あらゆる家は徴発され、樹木は切られ、相当の蓄えのある者以外は糊口をしのぐことが出来ない。職業はただ苦力(クーリー)に雇われる事のみである。