明治38年4月12日(水曜日)

南アフリカ支那苦力の暴動 5百名の支那人の坑夫が金鉱の構内より脱出した

開戦責任弾劾 責任のあった外交家を弾劾する為に、これに関する外交文書が必要である

敵艦隊給炭技術 全員が実地の研究を積み、給炭技術に熟練したものと考えられる

南アフリカ支那苦力の暴動 11日上海経由ロンドンルータース社発

昨日5百名の支那人の坑夫がジャムパース、ジープ金鉱の構内より脱出してヨハネスブルグに向かったが、騎馬警官がこれを追い返した。支那人は警官に対して3時間ばかり石を投げつけて抵抗したが、警察官は軽傷のみであった。この騒動で土人は警官を助けた。支那人で逮捕された者は28名であった。

開戦責任弾劾 10日ベルリン特約通信社発

ノウエ、ウレミヤは戦争勃発に関して、責任のあった外交家を弾劾する為に、これに関する外交文書が必要である事を繰り返し熱心に主張している。

敵艦隊給炭技術 

敵艦隊のインド洋横断に際しては、途中で石炭の供給が必要であるにも拘わらず、1回も島嶼に寄港する事無く、またあまり遅れる事無く航海しており不思議である。これは長く航海を続けたため、全員が実地の研究を積み、給炭技術に熟練したものと考えられる。