明治38年4月11日(火曜日)

露都の憂慮 ウラジオストックに関する憂慮が真剣に考えられ始めた

2艦隊別報 汽船タラ号はシンガポール北方130マイルに露艦40隻を見た

捕虜収容の現在員数 内地21箇所へ収容された捕虜の現在数は合計58,759名であった

露都の憂慮 8日ベルリン特約通信社発

セントピータースブルグに於いては、ウラジオストックに関する憂慮が真剣に考えられ始めた。

2艦隊別報 10日上海特派員発電

4日付シンガポール・ルーター通信員発電によれば、ペナンから入港した汽船タラ号はシンガポール北方130マイルに露艦40隻を見たとの事である。

捕虜収容の現在員数

開戦以来内地21箇所へ収容された捕虜の現在数は次のとおりであり、奉天方面の捕虜も、傷病者で後送できない者除いてほとんど収容を終わっている。

習志野(3,000名)、佐倉(3,120名)、濱寺(27,925名)、金沢(4,522名)、松山(3,673名)

その他16箇所の捕虜を合わせて合計58,759名であった。

解説3,000名未満の収容所名は省略した。この内、将校の収容者数は918名であり、最も多いのは松山の393名、次いで名古屋の111名、静岡の109名で他は50名以下であり、濱寺はゼロであった。