明治38年3月8日(水曜日)

露都小康 セントピータースブルグに於いては、騒動が再起することはなかった

奉天大混雑 日本軍の意外な出現により、奉天の市中は大混雑となっている

敵総帥の逃げ支度 クロパトキン将軍は幕僚と共に汽車に乗った 

奉天城外戦況 奉天占領は本日中と思われる

騎兵中尉南部伯 南部中尉もついに満州の雪と消えた 

露都小康 6日ロンドン特約通信員発

予期に反してセントピータースブルグに於いては、騒動が再起することはなかった。

奉天大混雑 7日上海経由ロンドンルター社発電

在奉天ルーター通信員の報道によれば、日本軍の意外な出現により露軍はびっくり仰天させられ、奉天の市中は大混雑となっている。

解説:クロパトキンは奉天東側の鴨緑江軍を乃木軍と思い、急遽シベリア第1軍団を奉天東側に移動させた。しかし本当の乃木軍出現の報に驚いて、先に東側に回したシベリア第1軍団を呼び戻した。東に駆け付け、西に走ったシベリア軍団はすっかり疲れてしまった。

この間、第3軍団(乃木軍)は全力で奉天西北方に達し、まさに、奉天を側背からおびやかすようにみえたので露軍は驚いている。

敵総帥の逃げ支度 6日新民屯特派員発

クロパトキン将軍はただ今(午後2時)幕僚と共に汽車に乗った。

奉天城外戦況 6日新民屯特派員発電

渾河(こんが)の敵は昨夜撃退され露軍は奉天の南3里の場所に居る。奉天占領は本日中と思われる。奉天の敵主力は城北に留まり、今や戦闘は激烈を極めている。

騎兵中尉南部伯

定洲の初陣にも独り傷つかず、鴨緑江の役、遼陽の役、沙河の会戦にも微傷だにしなくて、武運の極めて目出度たかった南部中尉もついに満州の雪と消えた。

その任務に倒れる名誉とはいうものの南部家は由来不幸が多く、祖父母、父母相次いで長逝(ちょうせい)し、今や最も期待されていた中尉が戦没した。残るのは令弟令妹各1人のみで令弟は利淳といい学習院に在籍している。

解説:南部中尉は、盛岡藩藩主の直系である。