明治38年2月5日(日曜日)

ゴルキー放免  暴動中に拘禁された露国文豪マキシム、ゴルキーが釈放された

死傷千6百人 ワルシャワ騒乱で殺された者6百人、負傷した者千人であった

いわゆる大憲章の説 露国が大憲章を発布したという報道は、未だ十分な信憑性が無い

露国大官の更迭 内務大臣に新任されたブリヤンは著名な保守党員である

ゴルキー放免 3日ベルリン特約通信社発

暴動中に拘禁された露国文豪マキシム、ゴルキーが釈放された。

解説:大変有名な革命作家で次のホームページに詳しく書かれていました。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/katuno.htm#m2

死傷千6百人 同上

ワルシャワ騒乱で殺された者6百人、負傷した者千人であった。

いわゆる大憲章の説 3日ロンドン特約通信員発

露国が大憲章を発布したという報道は、未だ十分な信憑性が無い。ウイッテはただ社会及び立法の改革事項について立案する権限を与えられたのみである。

解説:本紙2月4日「露国の大改革」に露国皇帝は露国の大憲章とも称すべき一勅令に署名したと報道されている。

露国大官の更迭 同上

露国司法大臣ムラビエフはローマー大使に、マヌチエンは司法大臣に任命された。内務大臣に新任されたブリヤンは著名な保守党員である。