明治38年1月25日(水曜日)

その後の露都 ピータースブルグ中央部は、夜に入ってほとんど無人の街となっている

露都大乱後聞 概算で死者15百名から2千名、負傷者は4千名から5千名である

同上別報 数日前「ガボン」という僧侶が労働者の支援者として雇主に待遇の改善を申入れ拒否された

その後の露都 24日上海経由ロンドンルーター社発

ピータースブルグ中央部は人々が難を避けたため、夜に入ってほとんど無人の街となっており、軍隊のみが雪中にテントを張って残っている。若干の歩兵は既に引き上げ水兵がこれに代わった。

露都大乱後聞 (無辜の犠牲者6千人)(全国人民憤慨、激怒)

異常な多人数のデモ隊が冬宮に向かっていたが軍隊が進路を塞ぎ、最初の衝突は午前11時頃発生した。軍隊、特にコサック兵は遂に乱射を始め、男はもとより女性、子供も死傷するもの極めて多い。今までの概算で死者15百名から2千名、負傷者は4千名から5千名であり、この様な兵士が起した惨劇に対し国内一般に憤慨、憤怒を極めている。

同上別報(革命運動の職工隊性質)

数日前「ガボン」という僧侶が、労働者の有力な支援者として雇主に待遇の改善を申入れ拒否されたが、この拒否が「ブチロフ」工場(武器弾薬の製造所)における職工のストの動機となり、今やストは他の工場にまで蔓延している。この運動に端を発して、非常に多くの人が署名した請願書を露帝に捧呈する事になった。