明治38年1月24日(火曜日)

露都の大騒動:僧侶「ガボン」を先頭に40万人の大群衆が皇帝への面会を要求した

露都の大乱:全市いたるところで衝突が発生し、今や全市は革命の渦中に投ぜられた

露都の暴動鎮圧:多数の死者が発生したがその中に職工等の指導者であった僧侶「ガボン」がいた

露都の大騒動(形勢ますます重大) 23日上海経由ロンドンルーター社発

露都の形勢は重大を極め、冬宮の前で請願書を皇帝に捧呈しようとして大規模なデモが行われた。請願書は従来皇帝に捧呈されたものの内で最も露骨なものでその趣旨は「人民は奴隷の様な取り扱いを受け、専制主義と役人の圧制により窒息させられ、この様な忍びがたい苦痛を受けるよりはむしろ死を望む。国民代議制度は必須であり、全ての階級代表者を直ちに招集すべし。」

日曜日午後、十字架のキリスト像を持つ年少の僧侶「ガボン」を先頭に、40万人の大群衆が皇居に向かって進み、皇帝への面会を要求した。

露都の大乱(軍隊と暴徒との闘争)(惨憺とした市内の光景) 同上

本日早朝コッサク兵及びその他の軍隊は護衛の為冬宮に向かい、市内各所で警備についた。冬宮に向かっていたデモ隊は途中でコサック兵に阻止され、その銃火のため撃退された。これ以後闘争が各所に広がり、デモに参加している労働者は狂ったように鉄条網を張り巡らし、電信柱を引き倒しバリケードを築き、武器を取り軍隊に備えた。全市いたるところで衝突が発生し、僧侶「ガボン」は負傷し、婦人子供死傷し、婦女の悲鳴、男子の怒号の声が空を裂き、筆舌に尽しがたい凄惨な光景となった。今や全市は革命の渦中に投ぜられた。

露都の暴動鎮圧 23日ベルリン特約通信社発

ピータースブルグにおけるデモ隊の活動は軍隊の力で鎮圧された。軍隊はデモ隊の群れに向かって数回一斉射撃を行い、多数の死者が発生したがその中に職工等の指導者であった僧侶「ガボン」がいた。

解説:1905年1月22日に発生した有名な「血の日曜日」についての新聞報道であり、これが後に第1次ロシア革命といわれるようになった。