明治38年1月18日(水曜日)

ステッセル乗船(長崎) フランス郵船オーストリア号にステッセル将軍は乗船する予定

ス夫人我が勇士を慈しむ(長崎)ステッセル夫人は、両手がない藤井兵曹を見舞い、食事をさせた

ステッセル談 広瀬中佐戦死の時も余は丁度山上で、その光景を見ていた

またまた汽船拿捕 オランダ船ウイルヘルミナ号(2791トン)を捕獲して佐世保に回航

ステッセル乗船(長崎)

本日未明に入港したフランス郵船オーストリア号は船客600名を乗船させる余裕があるためステッセル将軍以下の将校の大部分が乗船する予定である。

ス夫人我が勇士を慈しむ(長崎)

閉塞隊勇士の1人である藤井海軍兵曹は当時、左右の両手とも爆破されて失い気絶していたところを露軍に収容された。ステッセル夫人は、両手がないため食物を含ませる外ないことを聞き兵曹を見舞い、パンをむしって口に運ぶなど30日間にわたって食事をさせた。婦人の一美談である。

ステッセル談 16日長崎特派員発電

広瀬中佐戦死の時も余は丁度山上で、その光景を見ていた。弾丸雨あられの如く降り注ぐ中、平然と突進してきて、その有様は勇猛、大胆であり敵ながら天晴れと舌を巻いて見ていた。その後福井丸の船内に「広瀬武夫再び来り閉塞を試みる。露の将士これを記せよ」との遺書を見出したり。広瀬は又来て遂に戦死したかと深くその死を惜しみ爾来旅順の将士で1人として広瀬の名を知らない者は居なくなった。

またまた汽船拿捕

一昨日の16日我が水雷艇は対馬海峡においてオランダ船ウイルヘルミナ号(2791トン)を臨検したが、同船は英国炭を満載しウラジオに向かっていたためこれを捕獲して佐世保に回航させた。