明治38年1月16日(月曜日)

ステッセル将軍(長崎):荒川知事、亀山警部長及び要塞司令官等がシャンペンを勧め会談

夫人と孤児(長崎) 旅順が今日まで維持出来たのは半ば夫人の徳のお陰である

大招魂祭典 国の静めの軍楽に伴われ乃木司令官が荘厳な祭文を読んだ

ステッセル将軍(長崎)

ステッセル将軍は日本に上陸せずに帰国するものと信じ、休憩所で荒川知事、亀山警部長及び要塞司令官等がシャンペン及び菓子コーヒーを勧め会談した際も次の出帆を気にしていた。要塞司令官が閣下の船は17日でなければ来ないので止むを得ず稲佐に滞在するようにしていると伝えると稲佐は旧知の地であると喜び直ぐに上陸となった。

夫人と孤児(長崎)

スー将軍に伴われて来た孤児は6歳以上14歳迄でありいずれも女子であるがその愛らしくいじらしさに全ての人が涙を流した。

夫人は部下の信用が極めて厚く、旅順が今日まで維持出来たのは半ば夫人の徳のお陰である。夫人は要塞においてス大将と轡(くつわ)を並べて各砲台を巡視し、下士官兵まで一人一人と握手し一日も欠かさずに慰撫を尽した。ある大佐の談に「夫人の暖かい握手を受けた瞬間に勇気を復活し1分前の思慮を捨て決然として再び銃を執る。」とある。

大招魂祭典 14日周家屯発軍用電信

朝から霧深い日、各部隊は水師営北方の招魂祭場に集合し、国の静めの軍楽に伴われ乃木司令官が荘厳な祭文を読んだ。祭典が終わろうとする時濃霧が晴れ、春のようになり、幾万の英霊は確かに瞑したものと思われる。

解説:乃木が祭壇の前に立って音吐朗々と祭文を読み進むと、満場粛として声がなく「幽明相隔つ悲しいかな」のところに至ると、参列者皆泣き、来賓の中国人も涙を流し、全く言語を解しない欧米人までも眼を拭っていた有様だった。(名将乃木希典:中央乃木会出版)