明治38年1月13日(金曜日)

露国の講和論排斥 日本の満州に於ける地位を確実にさせない為である

旅順陥落と近東 旅順陥落は近東諸国民の耳目をそば立たせた

バルチック艦隊の警戒 日本艦隊が攻撃するとの情報を1月2日に入手した

ステッセル一行(佐世保) 一行は将軍夫妻、将校の遺児4名、下男3名、下女1名

露国の講和論排斥 11日ロンドン特約通信社発

露国新聞は講和の議を排斥する。理由は日本の満州に於ける地位を確実にさせない為である。

旅順陥落と近東 11日ロンドン特約通信社発

旅順陥落は近東諸国民の耳目をそば立たせた。露国に打ち勝つのは難しいと従来彼等の信じる所であるが今は必ずしもそうでない事が証明された為である。

バルチック艦隊の警戒 11日ロンドン特約通信社発

バルチック艦隊司令長官ロゼストウインスキーは日本艦隊がバルチック艦隊を攻撃する為航行しているとの情報を1月2日に入手し、その後露国の警戒は従前に比較して一段と強化された。

解説:昨日の「バルチック艦隊の極東回航」に見られるように、熱帯の「ノシベ」湾に於いて夜間は巡洋艦を港外に派遣し、各艦は当直を就け厳重な警戒を実施し、乗組員に大変な負担を強いていた。

ステッセル一行(佐世保) 

ステッセル一行は明後日14日来着するという確かな情報がある。一行は10名であり、将軍夫妻、将校の遺児4名、下男3名、下女1名であり、遼東守備司令部付き公使館書記官川上俊彦一行と共に来着の予定である。