明治38年1月10日(火曜日)

露国警察の乱暴 多数の新聞は警察官の乱暴を大陸諸国の革命党機関紙に報告した

旅順捕虜の収容 フォーク少将以下の下士官兵243百余名は御用船で次々に内地に送られた

旅順口鎮守府 旅順口を我が軍が占領したため、同地に鎮守府を新設することになった

露国警察の乱暴 9日ロンドン特約通信員発

露国で、多数の新聞の主筆は連名で露都に於ける学生の示威運動に対して警察官が乱暴した始末書に調印し、大陸諸国の革命党機関紙に報告した。その主旨は現在の政体では人民にとって最も基本的な安全についての保障を得る事すら不可能であると言う事にある。

旅順捕虜の収容

フォーク少将以下の下士官兵243百余名は、御用船で次々に内地に送られ姫路、福知山、松山、名古屋、福岡(新設)、大阪(新設)、似島、大里の各収容所に収容するとの事である。特に大阪付近に最も多く収容する様であり、フォーク、スミルノフ、ゴルノフスキー及びウイルソンの各将官も多分同地に送られるものと思われる。

旅順口鎮守府

旅順口を我が軍が占領したため、いよいよ同地に鎮守府を新設することになり既に報道されたように7日付けで司令長官の補職が行われた。

  海軍中将従三位勲二等功三級 柴山 矢八

  補旅順口鎮守府司令長官