明治38年1月1日(日曜日)

山東の独逸増兵 独逸は鉄道を守備すると言う名目で山東地方の兵力を増加させている

占領後の二龍山 逆襲の気配がないばかりか今日は砲撃までも停止している

海軍大臣の晩餐会 30日海軍大臣官邸の晩餐会に出席したのは東郷、上村、出羽の三将

山東の独逸増兵 30日北京特派員発

独逸は鉄道を守備すると言う名目で最近しきりに山東地方の兵力を増加させ、現在の駐屯地の数は20数箇所となっており、1ヶ所の駐兵数は2百から3百で、その重要拠点には武器、火薬の貯蔵所を設けている。

占領後の二龍山 

東鶏冠山北砲台の占領に対しては敵の逆襲がなかったが、二龍山砲台は松樹山砲台と連携して旅順の後背部にある最重要拠点であり、この占領に対しては残敵は必ず逆襲すると考えた。そのため我は防禦工事を急造して待ち構えていたが、ただ隣接する松樹山砲台とその後方の補助砲台から緩慢な砲撃があったのみで、逆襲の気配がないばかりか今日は砲撃までも停止している。

解説1218日第11師団が東鶏冠山を占領し、28日に第9師団が二龍山堡塁を奪い、31日は第1師団が松樹山堡塁を取った。日本軍は要塞の堡塁砲台の中心であった三大堡塁を占領した。翌明治38年元旦、望台一帯を落として進み、まさに旧市街に討ち入ろうとした。この時午後330分、ロシア軍使は日本軍前線に来て、ステッセル将軍の書簡を呈し、開城を乞うた。この日、ついにロシア軍は降伏したのである。

海軍大臣の晩餐会

一昨日30日海軍大臣官邸の晩餐会に出席したのは東郷、上村、出羽の三将、島村、加藤両参謀長、秋山、舟越の両参謀又特に井上大将は横須賀より来会し出羽中将の参謀山路、竹内の両参謀も加わった。主人側は大臣、軍令部長、次官、次長、各局長、副官等合計36人であり、和気藹々として旧を談じ新を説き十二分の歓を尽して9時30分に散会した。