明治37年12月16日(金曜日)

シャムの佛人顧問 佛国領事パズー氏を法律顧問に招聘した

セバストポリ轟沈 望楼の報告ではセバストポリは艦首の水中発射管の上まで全く水中に没している

旅順休戦実況 双方持ちよりのブランデーで酒宴が始まった

シャムの佛人顧問 15日上海経由ロンドンルーター社発

佛暹(ふつせん)条約の結果としてシャムは佛国領事パズー氏を法律顧問に招聘した。

解説:シャム(現在のタイ)は東から佛国の西側から英国の圧力を受けており、1210日に佛暹(ふつせん)条約の記事がある。

セバストポリ轟沈 12月15日午前10時35分発 山田第3艦隊司令長官報告

昨14日午後11時30分より今朝午前3時まで6隊の水雷艇隊は間断なくセバストポリ、オトワズムイ等に対して襲撃を決行したが未だ戦果は不明である。しかし今朝午前9時望楼よりの報告によればセバストポリは艦首が昨日より尚沈下し、艦首の水中発射管の上まで全く水中に没している。

旅順休戦実況>

12月3日東鶏冠山(ひがしけいかんざん)において、ロシア兵は山頂にてしきりに我兵の死体を片付けている。我兵卒は山の中腹に居てこれを受け取り、彼を担架に乗せて、我陣地の攻撃路まで持って行く。幅1尺しかない攻撃路は死体で埋った。

その内写真の用意ができたというので一少年士官が写真師となり、彼我の将校、兵卒合わせて30名ばかり一同撮影した。我一将校もまた写真師となり再び撮影した。

それから双方持ちよりのブランデーで酒宴が始まった。我は露兵の勇武を賞する。彼は日本兵の勇武を賞する。彼は203高地や旅順全体を安くは売らぬという。我は尊い血を払って見事取って見せるという。一同哄然(こうぜん)として大笑いした。

午後3時彼我の人々は堅く手を握って相別れ、握手し終わるや否や直ちに戦闘を開始し、双方ともに又もや大小砲を撃ち続けた。

解説:休戦協定が結ばれ、双方死体を片付けた後の情況である。最後の武士道が見られた戦いと言われるゆえんである