明治37年11月23日(水曜日)

酩酊艦隊の暴行 バルチック艦隊の将校、兵士は、絶えず酩酊ししばしば乱暴狼藉を行った

乃木将軍 砲弾が降り注ぐ中を奔走し、親しく士卒の労苦を労うため士気は一般に旺盛である

旅順守兵の降参続々 旅順の露兵は突撃を装って降参する者が毎日5~6名づづいる。

封鎖以来の艦隊の死傷者 我が艦隊の死傷者数は131名

酩酊艦隊の暴行 21日ロンドン特約通信員発

バルチック艦隊の将校、兵士はクリート島カニアに停泊中、絶えず酩酊ししばしば大通りに於いて乱暴狼藉を行った。同地において脱走した水兵40人ばかりおり、皆公然と将校が信頼できない事艦船の手入れが不良である事を明言している。

解説:クリート島は、当時フランスの保護領であったチェニジアにある島

乃木将軍 21日溝封子特派員発電

旅順から帰った人によると乃木将軍は平生、砲弾が降り注ぐ中を奔走し、攻囲陣地を巡視して、親しく士卒の労苦を労うため士気は一般に旺盛である。

目下2千メートル離れた場所より大口径砲でもっぱら二龍山、白玉山、松樹山等の各砲台を砲撃中である。もしこの3砲台が陥落すれば旧旅順市街だけは容易に占領できるであろう。 

旅順守兵の降参続々 22日チーフ特派員発電

旅順の露兵は突撃を装って降参する者が毎日5~6名づづいると言われている。

封鎖以来の艦隊の死傷者

旅順口を封鎖して以来、この作戦(強行偵察を含む)に参加した我が艦隊の死傷者数は131名であり、その内即死68名、傷死者4名、病院で治療中59名である。これを階級別に示すと士官以上16名、准士官1名、下士官兵112名、その他2名である。