明治37年10月17日(月曜日)

露都の憂鬱 満州よりの電報は当地の人心を深く暗い気持ちにさせている

英国の新聞 クロパトキン将軍は博打を試みたが見事に失敗したものである

捕虜連隊長は我が友人 村田少将はこの連隊より招待された事があった

露都の憂鬱 15日ロンドン特約通信員発電

セントピータースブルグのルーター通信員の電報によると満州よりの電報は当地の人心を深く暗い気持ちにさせており、クロパトキンの宣言により喚起せられた高揚感と比べて全く反対となっている。露軍の損害は8千人と信じられている。

解説:本紙10月12日にクロパトキンの宣言があるが今回も敗北がはっきりしてしまった。沙河の戦いで、ロシア軍は22万2千人が参加し死傷者4万1千346人であった。日本軍は12万人が参加し死傷者は2万497人であった。(近代の戦争 人物往来社より)

英国の新聞 15日ロンドン特約通信員発電

タイムス新聞の主張によれば、露国政府はクロパトキン将軍及び其の指揮下の軍隊で、日本軍と対戦し相撃ちで倒れるか或いは今までの失敗を取り返すことが出来るか二つに一つの博打を試みたが見事に失敗したものである。

捕虜連隊長は我が友人

三塊石山(さんかいせきざん)に於いて捕虜となった連隊長は大佐であり、その名をカレボフという。ペテルブルグ第1軍団の第145連隊に属する。今回初めて戦闘に参加したがこの連隊は露都にあるため、村田少将はしばしばこの連隊より招待された事があって前の連隊長は知人であったそうである。また田中少佐(義一、後大将で首相)が露国留学中はこの連隊に於いて戦術の研究をした事があるとのことであった。