明治37年9月25日(日曜日)

英チベット条約と独伊米 独伊米の3国は外務部に抗議

19日以後の旅順 従来にない大砲声が絶えず起こり激しい時は1分間に2発ほどの割合であった

英チベット条約と独伊米 23日上海特派員発

独伊米の3国はチベットと英国との条約に関して外務部(清朝の外務省)に抗議を申込んだとの情報があった。

解説:本紙9月21日 英国とチベットの新条約に書かれているとおり、英国がチベットを自己の勢力圏に入れたことに対する抗議である。

19日以後の旅順 24日チーフ特派員発電

19日午前3時頃より1時間あまりの間連続した激しい砲声で攻撃が始まり、明け方より従来にない大砲声が絶えず起こり、激しい時は1分間に2発ほどの割合であったが午後8時ごろ終わった。

20日は午前10時頃より砲声は始まり午後2時に至って激甚を極めた。同夜は絶えず1時間毎位に連続の砲声を聞いた。

21日には夜9時頃より約1時間砲声を聞いたのみ。

22日は早朝より聞いたがその音は非常に小さかった。

解説:第3軍(乃木大将)の第1回総攻撃の砲声であり、第1師団右翼は20日から203高地を巡り死闘を演じ、21日深夜から22日未明にかけて両軍の夜襲があいつぎ、203高地は修羅の場と化した。22日一杯日本軍は粘ったがついに攻撃を中止している。