明治37年9月9日(木曜日)

英国の新聞賛評 日本は、当然一挙に一大強国と認められるべき事を証明した

紡績業の大勢 現在はボンベイ綿(インド)90俵に対して支那綿50俵を使用しており

模範的軍人故橘少佐 橘少佐は恰も陸軍に於ける広瀬中佐である

英国の新聞賛評 8日ロンドン ルーター社発

デイリーテレグラフは、日本軍の勝利は古来各国民が兵力を以って成し遂げた最も優れた功績の一つで、長い歴史を有する東洋の歴史上にかってない事である。日本は、当然一挙に一大強国と認められるべき事を証明した。

紡績業の大勢

元来紡績業は英国特有であるかのような観があったが、近来に至り欧州大陸諸国をはじめインド、アメリカで紡績業が盛んとなり、原綿が不足してしまった。そのため各国とも自国の植民地で原綿を試作する努力を始めている。しかし幸いな事にわが国では支那に於ける綿花の産出が増加し、20年前、支那綿はゼロであったが現在はボンベイ綿(インド)90俵に対して支那綿50俵を使用しており、支那綿は次第に増加の傾向にある。わが国の事業者は将来に大いに希望を持っていると思われる。

模範的軍人故橘少佐

歩兵少佐橘周太(40才)は、軍人社会において特に優れた教育家であり、前職は名古屋幼年学校の校長であったが、出征後先月10日戦地に於いて某大隊長となり、同31日遼陽方面の激戦に参加して名誉の戦死を遂げた。かの軍神と称えられる広瀬海軍中佐はその最後が勇壮であったためばかりでなく平素から賛美される点が多かった。この橘少佐もまた平生の性行が真に耽美すべき点が多く恰も陸軍に於ける広瀬中佐であると思う。

解説:本紙82日の記事に首山堡(しゅざんほ)における激戦の模様が書かれているがこの白兵戦で橘大隊長は戦死した。当時有名となった「遼陽城頭夜は更けて・・・・」の歌は橘大隊長の戦死を歌ったものである。

http://www.chijiwa.ne.jp/yaboo/siseki/tachibana_syuta/syuta_histry.html(橘中佐紹介ホームページ)