明治37年9月5日(月曜日)

遼陽戦報と英国 当地の各新聞は一斉に日本軍の遼陽に於ける戦勝を伝え

占領公報 遼陽は全く我が軍のものとなった

遼陽戦報と英国 3日ロンドン特約通信員発

当地の各新聞は一斉に日本軍の遼陽に於ける戦勝を伝え、この戦いは全世界に深甚な感動を与え、大成功であったと賞賛し、クロパトキン将軍が最後に敗北するのは確実であると述べている。

調停の噂が早くも伝えられるがその理由は露国が独力では到底太平洋沿岸に勢力を持てないことが明らかになったからだと思われる。

占領公報

9月3日より4日における夜間及び4日朝に於ける戦闘で遼陽は全く我が軍のものとなった。

太子河右岸(太子河については本紙9月3日記事を参照)の状況はその後未だに正確な情報はないが我が軍の死傷は多大であるが未だ詳細は不明で調査中である。

解説:9月3日夜、クロパトキンは攻撃を中止し退却を始めた。引き続き4日午前1時日本軍はついに遼陽城門に突入した。しかし日本軍はこの8日間の戦闘で武器、弾薬を使い果たしていたため、逃げる敵を追撃し、捕捉殲滅するだけの余力が最早無かった。

この戦闘に参加した露軍は22万5千人に対して日本側は13万5千人であった。露軍の死傷1万6千人に対して日本側は戦死5千500人、戦傷1万8千人の合計2万3千人の損害を出した。(参考文献 近代の戦争 人物往来社)