明治37年9月4日(日曜日)

平壌の軍用土地収用 軍用の目的で青海門付近より大同河の間の土地を収用

海底電線全通 長崎と釜山間の電信は2日午後2時より復旧した

遼陽全勝 中央及び左翼軍前面の敵は太子河右側に退却を続行し

祝勝費の節約 祝勝会の費用の幾分かを割いて、兵士の為に使っていただければ

平壌の軍用土地収用 1日平壌特派員発

今回我が駐屯軍は軍用の目的で青海門付近より大同河の間の土地を収用し既に木の杭を建て、軍令を施工することを領事館より告示した。

海底電線全通(長崎)

不通であった長崎と釜山間の電信は2日午後2時より復旧した。

解説:100年前には既に海底電線が使用されていたが、日本における最初の海底電線は明治4年長崎~ウラジオストック間にデンマークの会社によって引かれていた。ニュヨーク~ヨーロッパ間は既に大西洋海底電線が、ヨーロッパ~シベリア間はシベリア横断電信線があったため大久保利通はニューヨークから東京あてに電報を打ったが僅か5時間で長崎に届いていた。(大成建設ホームページより

http://www.taisei.co.jp/bookfilm/hajimete/html/hajimete-communi.htm

遼陽全勝(全軍太子河を渡らんとする) 9月2日夜半大本営着電

中央及び左翼軍前面の敵は太子河右側に退却を続行し、その一部は遼陽南方より西北に亘る工事線や北方高地を占領し、これに対して両軍は攻撃を続行しており、明朝までに太子河右側に到達する事が出来ると思われる。

右翼軍は西方の標高131の高地にある敵を攻撃し今朝この高地の一部を占領したがその後の戦況は不明である。そして右翼の石炭坑方面では敵兵が集合している様である。

祝勝費の節約(本多大尉実戦余談)

我ら将校には不十分ながら追送品(家族等からの贈物)の便宜があり、日常不便を感じる程度もさほど無いがそれに引き換え兵士にはそれが無い為、いかに不便、不自由を忍んでいるかは到底内地人の想像も及ばない所である。

第1兵士が最も不自由に感じていることは筆、紙の欠乏である。即ち郷里の老父に音信を伝えようとしてもできない。

また南山占領前後は暫くの間全く煙草が欠乏し、通常酒保(軍隊の売店)で販売する1箱12銭の「ピンヘット」も全く絶えて将校、下士官、兵を問わず煙草に飢えていない者は居なかった。

併し内地に帰ってみると旅順がまだ陥落していないのにその祝勝会の準備が行われており、これらは決して無駄ではないが、戦地に於ける兵士の困苦、不自由は到底口舌に尽しがたい事を思うと、祝勝会の費用の幾分かを割いて、兵士の為に使っていただければ兵士の喜びはどんなであろうかと思う。