明治37年9月3日(土曜日)

我が軍の総攻撃 敵は我の猛烈果敢な攻撃に堪えず1日早朝から遼陽方面に退却

遼陽占領 遂に遼陽を占領したと信ずべき報道がただ今本社に届いた

佛国インドシナに軍隊を派遣 佛国軍隊司令官は6千名の兵士を派遣するよう本国に要請

遼陽占領を祝う夜景 全都は悉く電気、ガス、提灯の火にかがやき素晴らしい景観

我が軍の総攻撃 9月2日午前零時45分大本営着電

敵は我の猛烈果敢な攻撃に堪えず1日早朝から遼陽方面に退却し、左翼軍一部及び中央軍は猛烈に追撃中である。敵は太子河(遼陽の北を通り、東を南下する川)の右側に撤退しようとして遼陽付近に大混乱が起きつつある。

右翼軍は1日午前11時黒英台の敵を攻撃中

左翼軍の主力は2日早朝より更に敵を太子河に圧迫しようとしている。

29日以来の我が軍における損害の詳細は不明であるがおおむね1万内外と思われる。

遼陽占領 遂に遼陽を占領したと信ずべき報道がただ今本社に届いた

公報によると敵はなお遼陽に兵力を集中し、本格的に設けられた陣地に逃げ込み、最後の抵抗を敢えてすると思われていたが、昨夜(1日)夜半より全くこの企図を放棄し壊走の状態に陥り、その機に乗じて我が諸軍は急激な攻撃を太子河方面で行い、非常に大なる損害を敵に与えて殆ど壊滅させ、遂に遼陽を占領したと信ずべき報道がただ今本社に届いた。

佛国インドシナに軍隊を派遣 6月6日パリー発

佛領インドシナの佛国軍隊司令官は6千名の兵士を派遣するよう本国に要請したが本国政府は直ちにこれを承諾し、軍隊の一部は既にマルセーユ港を出発した。これは目下暴威を奮いつつある反乱を鎮圧するためのもので必要な場合、さらに兵員を増派する計画があると言われている。

解説:仏領インドシナはベトナム、カンボジャ、ラオスの3カ国で構成され、フランスは1850年頃からベトナムに進出し1887年にはハノイに総督府を置いて支配していた。

遼陽占領を祝う夜景 (火の都と化した夜の東京)

遼陽の戦闘に於いて我が軍が大勝利を博したため、市民は皆が競って祝意を表したが夜に入り更に一段と華やかさを加え、全都は悉く電気、ガス、提灯の火にかがやき素晴らしい景観となっている。