明治37年9月1日(木曜日)

ジャンク談 高家屯に居た支那人の情報によれば、日々激戦が継続中であり

遼陽大会戦 日本軍は遼陽に向けて全ての戦線において進行しており

遼陽大決戦開始 我が北進諸部隊は直ちに遼陽の正面を圧迫し敵の主力に決戦を挑んだ

ジャンク談 31日チーフ特派員発電

28日午後老鉄山(ろうてつざん 旅順港西方の山)の北にある高家屯(こうかとん)に居た支那人の情報によれば、日々激戦が継続中であり、26日夜12時より雨が降っていたにも関わらず太平街(たいへいがい)の東北にある5号、6号砲台の露兵と八里庄(はちりしょう)の日本軍との間に朝まで猛烈な砲戦が行われた。日本軍は前進してこないが露兵の死体が多く自分はこの運搬に20日間使役されていた。

遼陽大会戦(敵方公報) 31日ロンドン ルーター社発電

昨日正午付の露国満州軍参謀長サハロフ中将の報告によれば日本軍は遼陽に向けて全ての戦線において進行しており、そしてその攻撃の主力は露軍の中央及び右翼方面で、露軍の損害はこの付近に集中しており、重大な損害を受けつつある。日本軍は夜を徹して露軍陣地に対する着弾距離内に多数の砲兵を配置している。今朝9時ごろ日本軍は既に露軍の中央部隊方面に現れた。

遼陽大決戦開始 

ある筋からの情報によれば去る28日鞍山店(あんざんてん)より沙河鎮(さかちん)を経て敵を追撃しつつ前進している我が北進諸部隊は直ちに遼陽の正面を圧迫し敵の主力に決戦を挑んだが敵はこれに応じざるを得なくなり、既に去る30日大規模な戦闘が開始されたようである。別電のルーター電もその情報を伝えている。

解説:第1軍(黒木大将)は東側から攻め、その主力はロシア側の東方に回り背後を攻撃しようとしていた。第2軍(奥大将)と第4軍(野津大将)は南から遼陽に迫っていた。露軍は鞍山站(あんざんたん)という低い山脈の主峰に第1防御線を首山堡(しゅざんほ)、北大山(ほくたいざん)の丘陵に第2防御線を引いていた。露軍は鞍山站(あんざんたん)を棄て、首山堡(しゅざんほ)、北大山(ほくたいざん)の丘陵地帯に10万の兵を集め待ち構えており、日本軍は非常な苦戦を強いられた。31日第2軍及び第4軍は各地で白兵戦を展開したが首山堡(しゅざんほ)を抜く事が出来なかった。「遼陽城東夜はふけて」で有名な橘大隊長の戦死はこの時の戦闘である。(参考文献 近代の戦争 人物往来社)