明治37年8月27日(土曜日)

喜望峰給炭の禁止 英本国の許可を得なくて喜望峰植民地港湾に於いて給炭を禁止

敵の主力兵数 20万人まではいってないと思われる

大山元帥臨戦の理由 統率者として優れているためである

米船警戒を解く 太平洋汽船は25日、日本行き一切の荷物を積み込むことに改め

喜望峰給炭の禁止 26日ロンドンルーター社発

デーリーテレグラフのケープタウン通信によれば、英本国の許可を得なくて喜望峰植民地港湾に於いて給炭を禁止する命令が出された。

解説:バルチック艦隊の極東回航に際し喜望峰で給炭する事を英国が禁止した。

敵の主力兵数 25日北京特派員発電

各方面よりの情報を分析すると、正確と思われる露国の兵力は遼陽を中心とするもの15万人、奉天を中心とするもの3万人前後で多くても20万人まではいってないと思われる。列車で本国よりの援軍が若干到着しているのは事実である。

韓皇帝に進言 23日京城特派員発

林大使の臨時謁見許可と同時に萩原、国分両書記官と駐屯地軍参謀長は何時でも宮中に出入を許されることとなった。22日夜、上記4名は宮中に赴き各大臣と共に施政改革についての会議を行いその結果を宮内大臣が奏上したようである。               

大山元帥臨戦の理由

ドイツのエン、リルテ紙は「得利寺の戦いの勝利に見られるように日本軍は完全に統一された作戦を行っていたが、在満州日本軍の司令官にわざわざ大山元帥が派遣された理由は、この戦いに見られるように、統率者として優れているためである」云々

解説:大山元帥は、出発を前にした山本海軍大臣との会話で「実は軍司令官がみな一方の雄ばかりで、他のものでは統制がとれません。総司令官はどうしてもこの大山でなければなりません。戦略や戦術については、児玉大将がおられるから大丈夫です。」と述べている。(参考文献:日露戦争 人物往来社)

大隈伯と塩専売

塩の専売は支那、インドや一部欧州で行われているが、たとえ戦時であるとはいえ、わが国において今更塩の様な必需品に対して専売法を実施するのは言われ無き話で英領インドの様な植民地における政策や支那の例を引き合いに出すのは根底より間違っている。

解説:本紙8月4日に関連記事

米船警戒を解く(太平洋航路)

日米航路に従事する二大汽船会社はウラジオ艦隊が東京湾付近に表れて以降、日本行きの貨物を拒否していたが、その内太平洋汽船は25日ニューヨーク発の満州号より日本行き一切の荷物を積み込むことに改め、また東西洋汽船も同様と思われる。

解説:本紙7月25日の記事に見られるようにウラジオ艦隊が日本近海に出現以来国際、国内貿易が停止状態となっていたが日米貿易がやっと本格的に再開された。